fragile 3





(望美…っ!)

邸を出た九郎は、あたりに目を走らせながらまっすぐに梶原邸へと向かった。
しかしその道中望美の影さえ見かけることはできず、ついた先の梶原邸にも望美はおろか
朔の姿さえない。

「あの馬鹿…いったいどこへ行ったんだ!」

九郎は五条大橋の上で一度立ち止まり、走り続けて乱れた呼吸を整えた。
あたりには完全に夕方の気配が忍び寄り…数人の子どもたちが何か笑いあいながら彼の横を 通り過ぎていく。

「くそ…っ」

焦りすぎている。
冷静にならなければ見つかるものも見つからない。
九郎は橋の欄干の上に肘をつくと、両手を組んで額を押しつけた。
まずそもそも、望美がどこへ行こうとしていたか、だ。
望美は梶原家の家の者に心配をかけるようなことをしたことはなかった。
それが朔に断りも入れずに出かけたとなると…、すぐ帰ってくるつもりだったか、あるいは。
告げるには気まずい行き先だったか、だ。

(やはり…俺のところに来るつもりだったのか?)

だとしたら櫛筍小路から堀川に来るまでの間に、望美の身に何かあったのだ。
源氏の神子として前線で戦った彼女でも、今は血生臭いこととは無縁の穏やかな暮らしをしている。
普段出かけるのに帯刀しているわけもなく、思いがけないことがあれば対処できないだろう。


そう…たとえば。
人さらいに遭うとか。
暴漢に……。


だんっ!
最悪の事態が頭をよぎった瞬間、反射的に拳が欄干を打ち据えた。

(馬鹿か俺は…!それよりも考えろ、可能性があるのはどこだ!?)

京の町中はもうほとんど探し回った。
後行っていないところがあるとすれば、外れの方…鞍馬や大原のあたり。
しかし、さらわれたとしたら六波羅界隈に連れて行かれたか。あのあたりは京でも治安が悪い。
他に考えられるのは…。
ぐしゃ、と煩わしげに髪を掻き上げた瞬間、共に戦った白い龍神の言葉を思い出した。

      『神子と八葉は引き合うよ。必ず逢える。』

「……」

無意識に右手が、左腕───もと宝玉があった場所に触れる。
すでにそこには八葉の証はない。

(駄目…なのか)


八葉でなければ、あいつを守ることもできないのか?


胸に、焼け付きそうな焦燥が走った、そのとき。

「!」

突然にびゅうと強い風が吹き付けて、九郎ははっと我に返った。

ひらり、
ひらり、

桃色の破片が目の前を舞い降りていく。

「さ、くら…?」

風に…舞うように。
否。
桜の花弁…それ自体が風を誘っているように。

ひらり、

『見てて下さいね』

ひらり、

『戦えるってこと、証明して見せますから』

ひらり。


「────……」

そのときの感覚を何と言うべきなのかは、わからない。
ただ、
左腕が熱くなった気がした。
……ざり
九郎の踵は東にゆっくりと東に向き、次の瞬間ためらわず地を蹴る。


向かうは────神泉苑。










日は稜線に落ちた。

空は夕暮れの名残を残し、濃紺から橙の見事な階調を奏でている。
あたりは真昼のそれよりは少しひんやりとした、薄紫の空気に満たされていた。
風が、相変わらず梢がざわめくほどの強さで吹いている。
その風が吹くたびに枝から振るい落とされた薄紅色の花弁が、視界に余すところなく広がり、 それは降ってくると言うよりは包んでくるような、そんな感覚がした。


神泉苑の桜木のもと。
九郎はゆっくりと立ち止まって肩で大きく息をした。

「はぁ…っ」

舞う桜は、夕暮れの薄紫と相まって人の目を霞ませるようだ。
走ってきたことで乱れた呼気が、空気の流れを作り、視界を覆うような花弁を一度、散らす。
開けた視界の向こうに、何かが見えた。
この何もかもが曖昧な景色の中で一際目を引く────鮮烈な、緋。

緋袴。

こく、と、喉が鳴った。


しゅ…しゅ…
微かな衣擦れの音がする。風が不意に吹かなくなった。
他に音のないこの場では、衣擦れの音すら耳に響く。
いや、今自分の全神経がそれに向かっているからだろうか?
風の名残に花弁はひらひらと舞いながら、ゆっくりと地へ落ちていく。
その中ですっと、夕闇に浮かび上がるような白く細い手が、のびた。

その手の先を包むのは、滑らかな白絹の水干。
細く長い髪がしなだれかかり、立烏帽子にまとめられ…。
そして。
碧玉の瞳が、九郎を射る。

ばらっ

ひそやかな空間にはけたたましい音がした瞬間、九郎は心臓を掴まれたかの思いで息を呑んだ。
舞扇が開かれたのだ。


あえかな衣擦れの音だけをさせて、それは始まった。
笛の音も、鼓の音もないが、それだけに厳かで────美しい。
かつて天を変じ雨まで降らしめた、神の子の舞。




目の前で行われるひそやかな舞を、九郎は声もなく見つめていた。
いつか刀を握っていたはずの手が、扇を操って優美な弧を描き、
いつか兵たちを鼓舞していた唇に、鮮やかな朱が引かれているのを。

幻想的。

と言ってしまえば月並みな。
しかしこの世ならぬ空気がそこにはあって。

魅せられた。




ぱたん…

ふと、聞き慣れない音がして…それが舞扇の閉じられた音だと気づいた時、舞はすでに終わっていた。

「あ…」

我に返って口から漏れた声は、やけに間が抜けていて…しかし九郎は凍り付いたように動けない。
白拍子の姿をした望美は、一瞬その翠の瞳で九郎の姿を目に納めた後、すぐに俯いてしまった。

「九郎。」
「っ!?」

突然後ろから肩を叩かれて、九郎は大げさにびくついて振り返る。

「弁慶…!?お前、なんで、いつから…!」

雰囲気に呑まれてか、九郎の声が何かに遠慮するように小さくなっているのに弁慶は笑った。

「さっきからいましたよ。君は見蕩れていて気づかなかったようですけどね」

そして、ちらりと意味深な視線を望美の方に向ける。
望美の元にはいつの間にか朔がいて、舞うことで少し乱れた髪を直してやっていた。

「行ってあげたらどうですか。…待ってるんですよ」

そう言われて、九郎は視線をもどした。
桜の中、立ちすくむ舞姫に。


彼女の舞に萎縮したように止まっていた風が、また吹き出す。
舞い散った花弁が立烏帽子に張り付くのを見て、九郎は声をかけるよりも何故かそれに手を伸ばした。
触れた瞬間…望美がぴくりと震えて顔を上げる。

「……っ」

目があって、息を呑む。
薄闇の中見た彼女は、薄化粧に紅を引いていて、九郎の知る彼女よりずいぶん大人びて見えた。
それよりもその瞳が…いつもより強い色をしているように見えた。

「走って…来たんですね」

不意に切り出した望美の声は、少し静かだったがいつもの彼女の声だ。
なのに九郎はよけい心音が早まるのを感じた。

「ぶ…無事、だったんだな」

間抜けな。
とっさに返した自分の言葉に我ながら呆れる。
望美は一瞬ためらった後、小さく頷いた。

「ごめんなさい、騙すようなことして…。これ、服とか…朔と弁慶さんが用意してくれたの」

心配かけて、ごめんなさい。
消え入るような声で告げて、望美はまた俯く。


いくら鈍い九郎とはいえ、弁慶や朔の様子から状況はだいたい飲み込めていた。
今までの全て、彼らが自分たちの和解のきっかけを作るために仕為した、芝居だったということ。
そこまでされなければいけなかった自分の不甲斐なさに、腹の底が熱くなるような怒りを感じる。
九郎は花弁を払ったまま固まっていた手を細い肩に伸ばそうとした。

「九郎さん。」

ぴく。
強い声音に思わず手が止まる。
肩に触れるか触れないかの位置で、ぴたりと。
二人の後ろでは、互いに見合わせて苦笑した朔と弁慶が、静かに踵を返す。
望美は思い詰めたような顔で再び九郎を見上げると、ともすれば聞き逃してしまうような
小さな声で囁いた。

「綺麗って…」

え?と、九郎は瞬きをする。
望美の目が今にも泣きそうに歪んだ。



「綺麗って言って……嘘でもいいから…」

好きだって、言って。



そう、告げられて。
固まっていた手が動いた。

「え…ひゃっ!」

乱暴に肩を抱き寄せて、腕の中に強く強く閉じこめる。

「嘘で言うかそんなこと!!」

叩きつけるように怒鳴ると、腕の中の小さな体がびくりと震えた。


今、変えなければいけないこと。
大切なこと。
やっとわかった気がしたから。


「綺麗だ…」

思いを託すように囁く。

「本当に、綺麗だ……俺より先に弁慶がこの姿を見たのかと思うと腹が立つ。本当に…っ」

そこまで言って、九郎は苛立たしげに髪を掻き上げた。
片腕の拘束が無くなったことで幾分自由になった望美が、驚いたようにその顔を見上げる。
目があっても、逃げることなく…九郎は言葉を継いだ。

「悪い。どうしても俺は、言葉が巧くない…。気の利いたことは言えんし、ましてや
 思っていることさえ言えないこともあるが…」

気持ちは伝えるもの。
それがやっとわかった。

「俺は…お前が好きだ。一緒に戦っていたあの頃から、この気持ちは誓って、変わっていない」










きっと、私は…
怖かったんだ。

自分が口べたで、思ってることの半分も伝えられないのがもどかしくて、
すぐ何でもないふりを装って意地を張ってしまうところが嫌いで、
そんなことを繰り返してるうち九郎さんの心も自分から離れて行ってるんじゃないかって思って、
なおさら想いを伝えられずにいた。

きっと怖くて。


「のぞ…っ!?」

私は何故か笑ってしまって、同時に泣きそうにもなって、九郎さんをぎゅーっと抱きしめ返して 顔を埋めた。
今九郎さんの顔、思い出したように真っ赤になってるんだろうなって思うと、ほんとに 泣きながら笑ってしまいそう。
こういう気持ち、愛しいって言うんだね。

「ありがと…」

今くれた言葉だけで、臆病な私の怯えなんて消えてしまった。
だから今度は私の番。

「ありがと…私も、大好き…」

不器用だけど、この手はもう…離したくないんだ。
離さないって、決めたんだ。
あなたを助けられなかった────あの日から。


私は微笑んで、顔を上げて。
今まで数度しかしたことのないキスを、どちらからともなく交わした。











「……望美」
「…?」

キスの余韻に少しぼうっとしてたのが、九郎さんの声に呼び起こされる。
九郎さんはやっぱり顔を赤くしてて、ちょっと躊躇うように視線を泳がせた。

「九郎さん?」
「あ…あのな、その…」

口ごもって、そのまま黙り込んでしまう。
私は怒ったふりをして、とんとんっと九郎さんの肩を叩いた。

「くーろーおーさん。黙っちゃったらわかりませんよ?」
すると九郎さんは、そうだったな、と苦笑してまた、私を抱き寄せる。

「あのな…望美。今回の仕事で…平家との戦のことはほぼ片づいたんだ。俺は総大将の
 任からも解放されたし…これからはちゃんと、毎日会える」

え?
そうなの…?
問いかけるように見つめると、九郎さんは小さく頷いた。

「だ、だからな…その…これからは毎日、傍にいて…ほしい」

好きだって、言ってくれた時より九郎さんの顔が赤い。
嬉しいけど…なんか九郎さん、様子が変?
私はとりあえず、頷いてみせた。

「はい、毎日会いにいきますね」
「……」

え?え?
九郎さんは微妙な表情で私を見つめたまま黙ってしまった。
なに?私なんか変なこと言った?
しかも九郎さんは深くため息までつく。

「意味が…わかってないんだな」
「い、意味?はい?」

あれ、私なんか流れに乗り切れてない?何この展開は。
九郎さんは腹をくくったように顔を上げると、真剣な顔をして…告げた。

「だから…っ、俺の妻になってくれるかと言ってるんだ…!」


────はっきり言われても一瞬。
意味が、わからなくて。

毎日傍に…って、そういうこと?


「……っはい!」

今度こそ涙が出そうになって。
私は思いっきり九郎さんに抱きついた。抱きしめ返してくれるの、わかってて。










不器用で、素直じゃなくて、すれ違ったり、またするかもしれないけど。
心は変わらない。
私の明日は────。










傷つけたり、寂しい想いをさせたり、不甲斐ない自分だからあるかもしれないけれど。
この手は離さない。
俺の明日は────。










あなたとがいい。

お前とがいい。



〜END〜
もう長さについてコメントするのは潔くやめます。笑
このイメソンはすごく話が浮かびやすかったんですけど、浮かんで広がるまではよしとして、くくるのが難しかった!
ほっといたらずっと突っぱねあってそうでこの二人、大変でした;もー世話かけさせやがって!
世話焼き親友組を書くのが一番楽でした!ハイ!!
改めて2000HITありがとうございました!
イメージソング 「fragile」Every Little Thing


BACK

top