空が、茜色に染まっている。
ついさっき、夜明けを見た気がするのに。

  「ふぅ…」

僕は井戸で手を洗うと、自室へ戻るために身を翻した。










「あ、弁慶さん」

不意にかけられた声に振り向く。
そこには廊に座り込んで、欄干に肘をついている望美さんの姿があった。
笑いながらひらひらと手を振っているから、僕も微笑んで歩み寄った。

「どうかしましたか?望美さん」
「どうか?いえ、別に…ただ弁慶さんが見えたから。もしかして忙しいですか?」
「いいえ?今やっと、仕事が終わったところです」

庭に立つ僕からすると、廊にいる君の顔はいつもより近いところにある。綺麗な長い髪が、一房僕の目の前で揺れていて。

「…仕事…?」

望美さんの眉が、不安げに少しゆがんだ。


ああ、僕が『仕事』と口にするだけでこんなに不安にさせてしまうなんて。
君は戦場に長く身を置きすぎたかな。
それとも…君が僕のことを知りすぎてしまったか。


目の前で揺れる髪を、手に取った。

「薬を作っていただけです」

苦笑して告げる。
これは本当ですよ。君が僕たちに平穏をくれたから。

「ほんとに…?」

おや、信じてくれませんか?

「僕が君に嘘をついたことがありますか?」
「…っ…弁慶さん!」

ばっ、と、怒った望美さんが欄干から顔を上げて。
する、と、僕の手から髪がすり抜けていった。

あはは、やっぱり冗談になってませんか。

思わず笑うと、望美さんはますます頬を紅潮させて怒った。

「私ほんとに心配して…!」










ええ、知ってますよ。
でも僕は自分で思っていたよりも不器用みたいで。
君を不安にさせたくない気持ちと、
君に気にかけて欲しい気持ちが、
半々なんです。
…こんな気持ち知ったら、君は子どもみたいと笑うかな。
…いっそ、笑ってくれたら幸せだろうな、と思うけど。










僕はもう一度手を伸ばして、彼女の髪を捕らえようとした。

「すみません…でも本当ですよ」

髪を掬い上げようとして、──偶然、指が首筋に触れた、
瞬間。

「冷たっ…!」

ぴくっ、と望美さんの体が跳ねる。
あぁ、さっき手を洗いましたからね。春とはいえ水はまだまだ冷たいから、指先が冷えてしまったんでしょう。
少し、悪戯心が頭を持ち上げて、そのまま指先を彼女の頬に滑らせる。

「やっ!ちょ…っ!冷たいって…!」

慌てて振り払おうとする腕を左手で押さえ込んで。
指を、首筋の、温かい脈動の上まで、滑り込ませた。


僕の指が、彼女の熱を奪って

同じ温度になる


冷たさに慣れたのか、逃げるのを止めた望美さんが、じと、とした目つきで僕を睨みつけた。

「…冷たいって言ってるのに…」
「僕は温かいですよ?」
「当たり前でしょ!」

ぺちっ
空いた手で額をはたかれる。
ふふ、僕は君を怒らせてばかりですね。
あぁ、でも本当に、温かいな…。

「……」
「…弁、慶…さん?」

僕がいつまでも手を放さないから、望美さんがまた少し、眉を寄せる。
温かいけど。
…これ以上君に怒られるわけにはいきませんね。
僕は、手を放して微笑んだ。

「では、暖も取れたことですし、僕は部屋に戻りますね」

言うと彼女はまた唇を尖らせて、「私はカイロですか」とまた不思議な言葉を口走る。


その顔が赤いのは夕陽のせい?
それとも、僕が怒らせたせい?
それとも…。


僕は踵を返す。
庭を歩いて、望美さんから見えなくなってから…。
そっと指を唇に当てた。


平穏なら君がくれた。
僕の罪は、君が一緒に、贖ってくれた。
温かさも──。
君がくれる。

もう、何も背負うものの無いこの身だから、
君の熱で、
この気持ちを灯しても…構いませんか。



旧拍手SS。なんか弁慶さんへんたいちっくですみません。変態ってかこれはセクハラだぜ弁慶。
ここは京邸だと思って頂ければよいです。

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