平泉遁走曲 2 …がたーん… 「?」 どこか遠くで聞こえたその音に、酒を酌み交わしていたヒノエと敦盛は同時に顔を上げた。 「何?今の音」 「さあ…誰かが何か倒したのだろうか…」 「……っていうか、音…」 ────望美の部屋の方でしなかった? ヒノエのその言葉に、二人はやはり同時に腰を上げた。 望美の身に何かあったのかと、急ぎ廊下を駆け抜ける二人はちょうど弁慶の部屋の手前あたりで変な物を見た。 邸の中だというのになぜか弓を携えた譲が、通りがかりらしい九郎に「何か的になりそうな物ありませんか」とかなんとか訊いていて、九郎はというと「これではどうだ?」と言って袂から柿を取り出している。 おいおいなんで柿常備だよとヒノエは思ったが、しかし今はつっこんでいる場合ではない。 無視して望美の部屋へ向かう。 「!銀!?」 「銀殿!」 最後の角を曲がった二人は、望美の部屋の前で膝を折る銀の姿を見つけた。 ただ座り込んでいるという雰囲気ではない。 胸のあたりを押さえて、何か様子がおかしい。 「銀殿、なにが…」 「大丈夫か望美!」 銀を気遣う敦盛も銀自身もさておいて、ヒノエはまっすぐ部屋の中に向かった。 彼の中では、『望美の部屋の前で銀がうずくまっている=銀が望美に夜這いをしかけて返り討ちにされた』という方程式が成り立っている。 平泉に来てからというもの、耳に甘い言葉を囁いて姫君の頬を染めてやるぜ☆というタラシポジションをあっさり奪われかけているヒノエは、銀に対してちょっぴり過剰反応ぎみなのである。 しかし。 「あ…れ?」 部屋の中に望美の姿は無い。 ころんと、小さな瓶が転がっているだけ。 拍子抜けした様子で、ヒノエは銀を振り返る。 「おい…銀、望美は?」 「ちょっとお前ら…って、え!その柿そういう用途なわけ!?」 柿を頭の上に載せた将臣と、その柿を弓で狙いながら「ウィリアム=テルって知ってるか?」とか呟いていた譲と、それをなぜか腰を落ち着けて見物していた九郎&弁慶が、ヒノエの声に顔を上げた。 「なんですかヒノエこんな時間に。非常識ですよ」 「うん、っていうか明らか非常識な芸当に興じてるお前らが常識を語るな。それより望美知らね?なんかちょっと変な状況になってんだけど…」 「変な状況?」 そんな彼らの元に、確実に恐怖は忍び寄っていた…。 「ここにいたんですか九郎殿」 「うわ、どうしたのみんな集まっちゃって!」 「朔殿、景時…と、金?」 何の偶然か、将臣、譲、九郎、弁慶にヒノエ、敦盛、銀の三人が合流した直後、朔と金を抱いた景時が現れた。 決して特別広いわけではない廊下は、いきなりの人口密度にごっちゃりして見える。 一行を目にしたとたん、金は尻尾を振って景時の腕を飛び出し…。 「くが…!」 と腕を広げた九郎を、 「わふっ!」 「ね?」 軽くスルーして、 「わんっ!」 「お…っと」 弁慶の腕の中へダイブした。 ちぎれんばかりに尻尾を振って、じゃれついている。 「おや金、まだ帰ってなかったんですか?泰衡殿が心配しますよ」 「あら…おかしいわね。その子、九郎殿の部屋の前で鳴いていたから連れてきたのに…弁慶殿に会いたかったの?」 首を傾げる朔の言葉に、九郎は衝撃を隠せなかった。 「く、金…お前は…弁慶の方がいいのか…!」 わなわなと身を震わせる九郎をちらりと見て、弁慶はにっこりと微笑む。 「ああ…きっとあれじゃないですか?ほら金は賢い犬ですから、誰に尻尾を振るべきかわかってるんですよ兄上馬鹿の君と違って。」 「な!ばっ、馬鹿とは何だ馬鹿とは!それに金は断じてそんな打算的な犬じゃ…!!」 「じゃ、僕の作った新薬試してみますか?」 「新薬?どんな薬だ?」 「愛犬の気持ちがわかる、『ばうりんがる』〜」 「お、すげえな弁慶!今のドラえもんの声でもう一回やって」 「兄さん、ノッてく部分が違うと思うんだ。弁慶さんがバウリンガルを知ってるってところがポイントだろ?」 「お前ら頼むからちょっと黙れ。いいところに来た、朔ちゃん、景時、望美見なかった?」 「先ほどから姿が見あたらないのだが…」 ヒノエと敦盛に問われて、梶原兄妹は顔を見合わせる。 「望美ちゃん…夕食の後から見てないけど…」 「部屋じゃないんですか?」 「それが部屋にいないんだよ。それで…」 ヒノエが言葉を続けようとした時。 「神子ならば部屋を出て右手に曲がった」 突然上方から振ってきた声に、一同の視線が屋根へと集中する。 「「「先生!」」」 「先ほどの一連の出来事についてだろう?」 屋根の上でたたずむ姿を、ヒノエは怪訝な表情で見上げた。 「何か知ってんの?」 リズヴァーンは静かに頷く。 「神子は何やら小瓶を持っていたようだ。それに入った液体を部屋の中でをあおり一時ほどじっとしていたが、不意に立ち上がって部屋を出ようとした。その時ちょうど廊下にいた銀とぶつかり、銀の懐から何か紙切れのようなものが落ちた。その瞬間神子の体が光り、神子はそのままふらりと歩いていったのだ。そして銀はその場に倒れこ────どうした、皆」 つらつらと語っていたリズヴァーンは、凍ったように沈黙する一同の様子に口を止める。 誰も怖くて言い出せないので、代表してヒノエがげんなりと口を開いた。 「あのさぁ…先生」 「どうした?」 「それ、全部見てたの?」 「無論。」 「屋根の上で?」 「そうだ。」 「……なんで部屋の中まで見えてんの?」 リズヴァーンは沈黙する。 何となく答えを聞きたくないなぁという雰囲気の一同の中で、一人すっと動いた影があった。 そして、重々しくリズヴァーンの口が動く。 「それは────答えられな」 「永久に沈黙して頂戴。」 ずこんっ! ちょうど朔の目の前に立っていた景時は、恐ろしい速さの塊が耳元をかすめ、ちりっという音とともに髪を数本ちぎっていったのを感じた。 恐る恐る振り向くと朔が満面の笑顔で立っている。 しかしその背後にはゆらりと黒い陽炎が揺れ、何故か譲が先ほど的に使っていた柿がなくなっていた。 そしてばたんと派手な音がした後、屋根の上にいたリズヴァーンの姿も見えなくなっている。 みんなの視線を一身に集めて、朔は天使のように微笑んだ。 「────望美に手を出すと、こうよ?」 いやまだ手は出してないよ、とは、誰もつっこめなかった。 「ああもうちっとも話進まねぇ…!つまり姫君はどこ行ったんだ?」 「う…リ…リズ先生…っ」 「敦盛泣くな。本気でお前しか頼りにならないからもうちょっと頑張って。な。」 「神子様は…」 「あ?」 敦盛をなだめすかすヒノエに、ずっと苦しげに沈黙していた銀が声をかけた。 銀は胸元を押さえたまま、呻くように言葉を続ける。 「体が光ったのではありません…目です」 「目?」 「そうです…私が落としたものを見た瞬間に、神子様の瞳が光ったのです」 「はぁ?」 と、首をかしげつつもヒノエはぽんと手を叩く。 「そうだ、結局お前が落としたのって何だったわけ?紙切れって…」 朔の恐怖からやっと立ち直り始めた一同が、銀の取り出すものに注目する。 それは確かに、一枚の紙切れのようだった。 「…これでございます」 「「「?」」」 一同は差し出されたものを覗きこむ。 漆黒の闇に溶け入るような黒髪が、不穏な音を立てて過ぎる風に揺れた。 「…まったく…こんな時刻になるまで帰ってこないなどと、一体何を考えているのかあの犬共は…!」 夜道を一人歩く黒髪のその人は、この平泉の主の息子、藤原泰衡である。 彼の家臣と飼い犬が、昼間に高館に出かけたきり帰ってくる気配が無いので様子を見に行くところだった。 自分の下にある者を管理するのは自分の責任だと思っている、泰衡は決して話し相手がいなくて寂しいとか某御曹司に乗り換えられたんじゃと心配してるとかではない。決して。 「手間のかかる…」 と、高館の門をくぐった瞬間だった。 「────?」 ふっと、不思議な違和感が…した。 そう言えば、門の側に常に控えさせている番兵はどうした?姿が見えない。 おかしい、と思って泰衡はあたりを見回す。 「!」 するとすぐ側の寒椿の茂み、その下に倒れている番兵の姿があった。 泰衡の脳裏に警告が鳴り響く。何か────おかしい! その時。 …ざんっ!! 「────っっ!!」 突として茂みから飛び出した影が、鈍い刃光をひらめかせた。 刃先は確実に泰衡の喉元を捕らえていたが、警戒していた上で一撃されるほど彼は鈍重ではない。 とっさに体を翻してその刀を避けた。 しかし立てた襟の一部と後ろで緩くまとめていた髪があえなく刃に噛まれる。 ざくんと嫌な音がしたと思ったその後、漆黒の髪が暗闇に散った。 ざあ……っ 先ほどより強さを増した風が、いくらか短くなってしまった髪を乱す。 しかし泰衡は気にもとめず、何より突然現れた刺客の姿を確かめようと目を細め… ……次の瞬間、瞠目した。 「お前は……っ!」 Please wait for next story!! |