ある日2




 二人が京邸に着いた途端。
 弁慶は望美にあっさりと置き去りにされた。

 赤ん坊の火のついたような泣き声が、廊下の奥から聞こえてきたからだ。

「……やっぱり怒ってますね。我が娘ながら聡すぎるってのも考えものだな……」
 右腕からぬくもりが消えてしまったことは寂しいが、さすがにそこまで我が侭を言うつもりはない。
 苦笑しつつも縁をゆっくりと歩いていく。
 庭に目をやれば、空は深い朱から鮮やかな紫に染まりつつある。この分では、さやが泣き止み帰る頃にはすっかり夜も更けていそうだ。
 もちろん未だ物騒な夜道を歩いて帰ることに不安などない。むしろどんな無頼が来ようと撃退してのける自信だけは完璧にある。あるが、一応赤子連れである。用心するに越したことはないだろう。
(……景時には申し訳ありませんが、今夜一晩厄介になったほうがいいかな……)
 そんなことを思いながら、廊下を歩んでいると、


「べ、弁慶、か……っ?」



 ……妙な声に呼び止められた。

 そういえば、先に九郎がここに来ていたはずだったことを思い出す。

「くろ……」
 声が聞こえてきた部屋の障子を押し開けた瞬間。










 ―――いろんなものが、一度に押し寄せてきた。












「……おいおいおい。まさかマジで固まってんのか?」

 ひらり、と。
 髪についていたらしい花弁が一枚、目端を掠めて落ちていった。

 ひらひらと目の前で触れられる手の向こうには、見覚えのある顔。
 その向こうにも、忘れようもない顔ぶれ。
 床の間にはこの屋敷では見たこともない掛け軸が一幅。

 また、今度は鮮やかな紙切れが落ちて。
 それにつられて目線を落とせば、足元には無数の花弁無数の紙の吹雪。


「……」

 もう一度、掛け軸に目をやる。


―――祝生日―――


 言葉もないほど豪快で達筆な文字が、一杯にあった。

 怒濤の如く投げかけられた声が記憶に甦る。

「誕生日おめでとう! 弁慶!」

 そういえば、今日は如月の……




 ……ゆっくりと、一つ一つ、繋がっていって。




(本当に、もう…… なんだって、こんな……)





「お〜い。べんけ〜。帰ってこ〜い?」
「……九郎」
 まだ眼前で手を振る将臣を通り越してその向こうに座っていた大将に視線を突き刺した。
「……え」
「まさかとは思いますが…… 君が今日、あそこに居たのは……」
「お、俺じゃないぞ! これを企んだのは将臣だからな!」
「おいおい。企んだはねえだろ? せっかく人がお誕生会セッティングしてやったのによ」
「だがその後はここで時間を潰していただけだろうが!」
「しょうがねえだろ。ここにいないはずの俺が出張るわけにはいかねえんだからさ。それに、さぼってたわけじゃねえぞ。ちゃんと昔懐かしの飾り付けとか花むしんのとかやってたんだからな。大体、不器用で紙の輪一つまともに作れないお前が悪い。むしろ適材適所じゃねえか」
「どこがだ! 俺が弁慶を騙す事などできるはずがないだろう! おかげで今日一日どれ程生きた心地がしなかったと思ってるんだ!」
「くろ〜。それ言っちゃ駄目だって……」
「源氏の大将の威厳もあったもんじゃねえよな…… ったく…… ちゃんとオレも手ぇ貸してやったじゃん。弁慶がどこにいるのか教えてやっただろ? こいつ、通りから外れた場所ばっかり行くからさ、探るの結構手間取ったんだぜ」
「そ、それはそうだが……っ」
「ちょ…… きゃ〜っ、もうやっちゃった? やっちゃったの〜っ?」
「望美。くんの遅すぎ」
「だって、さやがぐずるんだもん〜。うそ〜。わたしもおめでとう言いたかったのに〜っ!」
「望美、あまり耳元で大きな声を出したら……」
「うわっ。ご、ごめんっ。さや、ごめん、もう仲間はずれにしないから!」
「……神子、私が姫をみよう」
「……へぇ〜。姫って敦盛がお気に入りか?」
「そうみたい。さやって敦盛さんが大好きだよね〜?」
「……ふうん。それ、何げに面白くないんだけど、オレ。敦盛、オレにも姫抱かせろよ」
「だめだ」
「……あのな。なんでお前はそういっつもオレの邪魔ばっかりするんだよ?」
「とにかくヒノエは駄目だ」
「敦盛ぃ〜……」
「ヒノエ……」
「うわっ。ちょっと待った! リズ先生と剣の修行するためにこのクソ忙しい中京くんだりまで出てきてるわけじゃねえんだからな!」
「だったらちょっとは料理運ぶの手伝えよ」
「お、うまそ〜っ」
「兄さん! つまみ食いはやめろって…… ったく、どうせ自分が騒ぎたかっただけだろ」
「ん〜? まあ、そう硬ぇこと言うなって。そうだ、土産持ってきたんだぞ、土産! 沖縄の濁酒だ!」
「……もしかして泡盛か?」
「残念ながら、まだねえみたいなんだよな。あれ、美味かったのに」
「美味かったって…… ちょっと、将臣くん! 将臣くんが沖縄行ったのって修学旅行の時だけでしょ! もしかしてあの時飲んだのっ?」
「ん? あはははは……っ」
「あははじゃな〜いっ。未成年のくせにっ!」
「だ〜か〜ら。硬えこと言うなって。これも負けず劣らず美味いんだからさ。ほれ、弁慶。盃」
「え?」
「Happy Birthday! ってな」
「……はい」



「よし。じゃあ、もう一回行くよ〜っ!」




 ぱあ………………ん……っ



 花弁と紙吹雪が、再び部屋中に舞った。




+++



チャッ…… チャッ……


 庭にうっすらと積もった雪が朝の光を跳ね返し、縁に出た弁慶は目を細めた。
 かなり遅くまで飲んで騒いで……
 正直言えば万全の体調とは言い難い。


「う……ん…… もうダメだよ〜……」
 現に、締まりきらない障子の隙間から、微かなうめき声が聞こえてきたりもしていて。

「……宿酔いの薬なんか持ってきてましたかねぇ……」
 薬籠の中身を思い返しながら、つい笑ってしまう。



「あれ……?」
 そんな冷えた空気の中、縁側に腰掛ける人影が一つ。
「……随分と早起きなんですね、望美さん」
 静かに歩み寄り、望美の肩に自分の上着をふわりと掛ける。
「あ、弁慶さん。おはようございます」
 何の躊躇いもなく自分に向けられる笑顔。
「……おはようございます。そんな薄着のままじゃ風邪をひいていまいますよ?」
「あ、ごめんなさい。でも…… そうだ、じゃあ、ここ、来て下さい!」
 そして望美はその上着の端を持ち上げて、自分の隣の床をとんとんと小さく叩いた。
「……ふふ。それではお邪魔しましょうか」
 弁慶はそこに腰を下ろし、上着の一方を己の肩に引っかける。
「やっぱりちょっと小さいですね、二人で被るには」
「じゃ、もっとくっついちゃおっと」
 きゅうっと、望美が右腕にしがみついて。
「……でも、またさやが怒るかなぁ……」
「そういえば、さやは?」
「リズ先生が一緒に寝てくれてます」
「……起きないんですよねぇ」
 リズの腕や懐にいる時の愛娘は、本当にちょっとやそっとの事では絶対に起きやしない。
「敦盛くんにあやされると絶対泣き止むし…… ほんとうに、誰がパパかさやはわかってくれてるんでしょうかね」
 ついついため息が零れてしまう。
 こんな状況で長期に不在になどできるわけがない。帰ってきた時のことを考えると、空恐ろしくなる。
「弁慶さんったら…… そんなこと心配してるんですか?」
 だが、望美は楽しげにくすくす笑うだけだ。
「そりゃまあ…… 少し不安ではありますね」
「もう…… 大丈夫ですってば」
「そうですか?」
「そうですよ。弁慶さんがほおずりした時のさやの顔、今度見てみたらいいですよ? ものすっごく溶けそうだから!」
「……そ……ですか……」
 なにやら妙に気恥ずかしくて、思わず口元を手で隠し視線を庭先へと逃れさせた。
「でも、弁慶さん…… もしかして、また忘れてました?」
「……なにをです?」
「自分の誕生日」
「……」
 本当のことに否とは言えず、伺うように望美へと戻すと、望美が少し拗ねたようにこちらを睨んでいる。
「それは、その、まあ……」
「去年だってちゃんとお祝いしてあげたのに。どうして忘れちゃうんですか」
「去年って…… あの時は、喜ぶどころじゃありませんでしたからね。誰かさんのとんでもないプレゼントの演出のおかげで」
「〜〜〜っ。だって、驚かせたかったんですよ!」
「驚きましたよ充分。九郎じゃありませんけど、生きた心地がしなかったんですから」
 弁慶も軽く望美を睨んで。
「なのに誰かさんは全然わかってくれなくて無茶をやめてくれないし。あれからずうっと、冷や冷やしっぱなしなんですよ? 僕は」
「……。無茶なんかしてませんっ」
「おまけに自覚がないんだから……」
 ふうっと、これ見よがしに大きなため息をつくと、一層望美の頬がぷんと膨らんだ。

「……」
 思わず、笑う。

「……弁慶さん?」
 そして、小首を傾げて見上げてくる望美の体を腕の中に引き寄せた。

「……え?」
「……ありがとう」
「え?」
「愛してますよ、君を」
 そして、ぎゅうっと抱きしめる。

「え……と、あ、あのっ、弁慶、さん?」
 少し、焦ったような声。
 こうして誰かに見咎められかねない場所の時、望美は決まってこういう反応をする。
 ちらとみれば、思った通り項も頬もほんのりと朱に染まっていた。

 こんな初な反応が尚更煽るのだと。
 いつまで経っても彼女はわかっていないらしい。

「なんですか?」
 だから余計に甘く、耳元で囁いてみる。


「あの……っ。あの鳥、何なんでしょうねっ」
「鳥?」
「はい、あの、ほら、変な声で最近ずっと…… あ、ほら、鳴いた!」
「……?」

 思わず、耳を澄ませた。




チャッ…… チャ……ッ




 途切れがちな、もはや耳に馴染んだ声がする。





「……知らないんですか?」
 これは少し意外だった。

「え? もしかして、有名?」
「有名どころか…… ああ、もしかして望美さんの世界にはいなかったとか」
「……なんていう名前の鳥なんですか?」
「春告げ鳥…… 鶯ですよ」
「……うぐいす? え? だって、鶯って『ホー ホケキョ』でしょ?」
「それはそうなんですが…… 鶯も鍛錬が必要なんですよ」
「……じゃあ、あれ、練習中?」
「そういうことですね」
「へぇ〜〜〜……」

 既に先ほどの甘い雰囲気はどこへやら。望美は瞳をまん丸にして庭木の枝を食い入るように見つめ、鳥の姿を探しはじめた。

 彼女らしいといえば彼女らしいのだが。
 まだ自分の腕の中にいるというのに…… 正直、ちょっと面白くない。


「……望美さん?」
「はい?」
「一日遅れのプレゼント、くださいね?」
 顎を攫って上向かせて。
 意を突かれた望美の唇に重ね。




 ケキョッ



 どこかで囃すかのような不慣れな囀りがした。



+++



 ……ねえ、望美さん。

 昨日。
 あの怒濤の言祝ぎを受けるまで。


 僕は昨日が何でもない一日だと思っていたんですよ。


 一昨日から続く昨日だって。


 今日だって、昨日から続く今日で、明日も、今日から続く明日で。
 明後日も明々後日もその次も。
 何ら変わることのない、ただの当たり前の毎日が続くのだと。
 そう、思ってました。


 けれど、祝われて。
 それが嬉しいと思った、その時に。


 
 毎日をそう思えていることに気づいたんです。



 愛しい者を抱き、心許せる者と集う。
 そんな日々を当たり前に、特に意識するでもなく過ごせていることに。


 ……気づいたんです。





 ……慣れない、と、思っていました。


 穏やかな時間。
 愛しい時。
 そんな流れの中に身を置くことに慣れることなどないと、ずっと信じていたんですよ、僕は。



 けれど、違った。

 今、僕の手の内には、零れ落ちて残るはずなどなかった光る想いが溢れるほど在って。
 そんな僥倖を、そうと意識せぬまま、僕はこうして生きていくことができている。


 ……僕がどれ程驚いたか、わかりますか?

 本当にもう、下手をすれば皆に奇異の目で見られてしまいかねないほどに、笑い出しそうになったんですよ? あの時。




 そうしてくれたのは、君だ。


 傍らにあってくれるだけでなくて寄り添って支えて手を引いて、そしてそれ以上の宝をもたらしてくれた、君。



 僕も……

 変わっていくことができるんですね。


 君がいるから。

 君となら。



 きっと、来年もまた次の年もこうして過ごして行くことが…… できる。






 ……好きですよ。本当に、君が。


 いや、そうじゃない。
 それだけじゃ、足りない。


 どうすれば、君に伝えることができるんでしょうね。

 欺く言葉も飾る言葉も、今までは何の苦もなく浮かんできたというのに、こういう時に限って何一つ思い浮かびやしないなんて。

 まるで苦吟するが如くに言葉を探して連ねても、それは到底僕の想いに追いつかない。



 でもいつか……




 いつか必ず伝えますから。





 春を告げる鳥の歌のようにただ一つ





                    選び抜いた言葉を愛しい君に。




FIN



きゃー!!愛しの姉上さまから頂いてしまいました!
弁慶さんの誕生日SSですよ!これほんとに藤宮が貰っていいのかなぁ…!
しかもなにげにオールキャラ!ヒノエからさやちゃんを守り抜こうとするあっつんに、きゅん…☆↑笑
ありがとー!姉上!めっちゃ嬉しかったです!(*´v`*)ノシ


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