心の刃 1




「むっ、無理無理!それはほんっと無理!!」

良く晴れた、京の朝方。
土御門邸の一室に、引きつった叫び声が響き渡った。

……あたしの。

「まあ望美様!その明るい御髪にはきっとこの色が良くお似合いですわ、ほら!」

藤姫がほとんど壁に追いつめられたあたしの肩に当てたのは、明るい朱鷺色の着物。
う、うん。
その色はいいんだよ藤姫。色は。
でもね…。

「わたくし、お世話をするお方が増えて嬉しいですわ。神子様にもたくさんご用意しましたのに、少しもお召しになってくださらないのですもの」

可愛らしい手を頬に添えて、ふぅとため息をつく藤姫。
そりゃ、お召しになってくださらないんじゃないかな…。
こんな、見るからに高価そうな着物、目の前に何枚も並べられたら、さ…。

「あのね、藤姫…その。似合うとか似合わないとかの問題じゃなくて…その。」
「きっと内側に濃い色を差した方がよろしいですわね。では…」

なんて、喜々として藤姫は色合わせなんか考え出しちゃってるから口を挟む隙がない。
ど、どうしたらいいんだろうこういう場合。
わかんない。わかんないけど、こんな長ったらしい着物、それも何枚も何枚も重ねて着てられるわけないっていうのだけは確実にわかる。
とっとと武器調達して怨霊を封じて五行の力を取り戻して、なんて考えてるのに、こんな十二単みたいなの着てたら、下手したら部屋からも出られなくなる。

「ね、ねぇ藤姫!あたしが昨日着てた着物は?」

どうにかしてこの状況を切り抜けようと、とりあえず聞いてみた。
昨日夜着に着替えたら女房さんが持って行っちゃったんだよね。あたしの服。
藤姫はちいさく首を傾げた。

「ああ、昨日のお召し物なら…汚れてしまっていましたから、今頃洗わせているのではないでしょうか」

ああ、そっかぁ…。
確かに昨日は、いろいろ暴れ回ったからな。
あれくらいの服ならまだ、着慣れてもいるし楽なんだけど…洗っちゃってるか。
だからってこの想像を絶する十二単は着れない。
何でこう、一枚一枚が身長より長いのか…。

「さ、ではまずこちらからお召しになって下さい」

ずい、と笑顔で差し出されてあたしはう、とたじろいた。





「はぁ…つ、疲れた…」

誰もいない渡殿まで来て、欄干にもたれかかる。
服は、ずるずる引きずる十二単みたいなのじゃなくて、昨日まであたしが着てた格好よりちょっと襲ねが多いだけってくらいの着物に落ち着いた。
是非是非!って勧めてくる藤姫のコーディネートを、何とかはぐらかしたり正直にごめん着れないって謝ったりしてどうにかこの形にまで競り勝ったけど、
…朝っぱらからやけに疲れた。
あの満面の笑みとか見てるとさ、思いっきり善意からやってくれてることだってわかるから断るの心苦しかったりしたんだけど…。

「着飾っていい目に遭ったためしがないもんなぁ…」

1回熊野であんなお姫様みたいな格好させられたときは、チンピラに拉致されたし。
あれ以来、自由に動けない服っていうのはどうも苦手だ。
これくらいの着物にはさすがにもう馴れたけど、ずるずるはいけない、ずるずるは…。

「…あれ?」

そんな風に欄干にもたれかかってぼーっと庭を見ていると、視界に見覚えのある人影が映った。
あれは…。

「天真?」

思わず呼びかけると、後ろを向いていた人影が振り向く。
あ、やっぱり。
天真はこっちに気づくと、軽く手を上げて近づいてきた。

「ああ、あんたか。何か用事か?」
「え?ううん、用事はないんだけど…知ってる人がいたと思って。出かけるの?」

門の方に向かってたみたいに見えたけど…。
そう問うと、天真は少し口ごもってから、まあな、と答えた。
あれ…なんか聞いちゃいけないことだったかな。

「それより、あんたは?」
「ん?」
「今日からどうするか、何か考えてんのか?元の時代に帰らなくちゃいけないだろ?」

天真にそう尋ねられて、今度はあたしが口ごもる番だった。
どうするかはずっと、考えてる。でも今のまんまの状況じゃ、漠然とした方針しか思いつかなくて。

「そう…なんだけど。昨日も言ったとおり、とりあえずは白龍の力を取り戻さないと…元の時代に戻るのにどれだけ力がいるのかわかんないけど、今のままじゃ少しの時空も越えられないから」

着物の上から、指先で逆鱗をなぞってみる。
一晩おいてみたけれど、まだ逆鱗に力は戻ってないみたいだ。
当然と言えば…当然なのかも知れない。
昨日はあかねちゃんに会うまで、あたしはまっすぐ立ってられないくらい消耗していた。
この世界に生まれたブラックホールみたいな大きな何かが、逆鱗も、あたしの体からも、全部の力を吸い取っていってしまったんだ。
そしてその力を取り戻そうにも、今この京に白龍の力は感じられない。

「時空を…越える?」

訝しげに呟いた天真の声にはっとした。

「あんた…んなこと、自分でできんのか?」

え?

「あ────」

……そうだ。そういえば昨日の話じゃ、ここまで喋ってなかったんだ。
あたしは少し迷ってから、驚いたような、何か言おうとしたような天真を遮って頷く。

「……できる。一応。白龍の力を借りなくちゃいけないから、今の状態じゃ無理なんだけど。んーと…」

────これは、今話すには長い話だな。

「…詳しくはまた話すよ。取りあえず確かなのは、あたしが五行の力を取り戻さないと元の時代には戻れないって事で…って、あ。」

ふと思いついて、天真の顔を見つめたままはたと手を打つ。
いきなり見つめられて驚いたのか、天真はたじろいて「…なんだよ」とどもった。
天真。天真ならもしかして心当たりあるかな。

「ねぇ、刀ってどこで手に入るかわかる?」
「は?刀ぁ?」
「うんそう。刀」

天真はよほど思いがけないことを言われたのか、目を丸くしている。
あたしは欄干から身を乗り出した。

「五行の力を取り戻すってね、普通ならじっとしててもしばらくしたら戻ってくるんだけど、龍脈に歪みが生じてたらうまくいかないみたいでね。自分で怨霊を封じて歪みを正すのが一番手っ取り早いんだ。だから怨霊と戦える物、何か欲しいんだけど…」
「戦える物って、自分で戦う気かよ。あぶ…」

言いかけて、口ごもる。『危ない』って言いかけてたのも、昨日のあたしの暴れっぷりを思い出して止めたのも、その顔を見れば明らかだった。
…うん、さすがに頼久さんぐらい強いのに次々出てこられたら困るけど、私は一人で大丈夫だと思うよ。
昨日のでわかった。腕はまだ、そんなに鈍ってない。
視線で訴えると、天真は複雑そうな顔で「だよなぁ」と呟いて、頭を掻いた。

「刀かぁ…心当たりって言っちゃあ、あるにはあるけど…」
「あるの!?」

嘘、もっと何人か聞いて回らなきゃと思ってたのに、一人目で大当たり!?

「教えて!どこで手に入る?」

思わず膝立ちになりかけながら身を乗り出すと、天真は珍しく歯切れ悪く答えた。

「どこでって言うほどじゃないけどさ…。頼久だよ頼久」
「頼久さん?」
「あいつ、一応ここの武士団の棟梁なんだぜ。頼めば一本くらい刀、くれんじゃねえの?」
「え!そうなの!?」

あんなに若いのに、武士団の棟梁…!
若く見えるだけで、本当は見かけより上なのかな。
ああでももっと若いのに棟梁やってる人があたしの身の回りにもいたな、そういえば…。
いや違う。考えが逸れた。

「武士団か……確かにそれが今のとこ最有力かも…」

ほぼ初対面の人にいきなり物をねだるのは気が引けるけど、他につてもないし。
藤姫に頼んでも手に入りそうなんだけど、あの子にはあんまり聞かせたくない話だしね。あたしが戦ってたって言ったとき、泣きそうな顔してた。
あんまり荒っぽいことに触れさせて怖がらせたくないし、第一今朝の様子じゃ猛反対されそうだ。

「ま、一つ問題があるとしたら、あの石頭がOK出すかどうかってとこだな。あんたなら実力は問題なさそうだけど、なんつっても女だし…」

…そこはあたしも気になってたんだけど。
女の人が戦うってことは、きっとあたしのいた時代よりもっと、この時代では非常識。

「持たせてくれないかな…」

半ば立ち上がりかけてた腰をもう一度下ろして、あたしはこめかみを押さえた。

「さあな。俺だってもう何ヶ月も稽古してるし、それなりに振れるようになってきてるけど、まだ真剣は持たせてもらえねぇからさ。あいつ持たせないって言ったら絶対譲らないからな」
「何ヶ月も?なのに?」

…それは頼久さん、なかなか厳しい…かもしれない…。
天真は不機嫌そうな顔を隠しもせず、腕を組む。

「刃は、未熟なまま振るうと己を斬るんだと。身の丈に合わぬ力は過信の元になる、お前にはまだ早い…とかって、いつも説教たれやがって…」
「────……」

あたしは思わず天真を見つめた。
視線に気付いた天真が、訝しげに方眉を上げて見返してくる。
ううん、と軽く首を振って、あたしはまた視線を落とした。
…そうだ。心が未熟なまま振るった刀じゃ、何も変えられない。逆に自分や、自分の周りの人を傷つけることもある。頼久さんの言葉は、正しい。
今あたしの手元に刀がないのは、あたしから白龍の加護が消えたからだと思っていた。
でも今また、こうしてあたしは白龍に呼ばれて、でも刀が側にないのは、

「戦から離れたあたしに、もう覚悟がないから…?」
「?…なんだって?」

無意識に口の中で呟いた言葉は、天真には届かなかったらしい。聞き返される。
あたしはそれには答えずに、自分の手のひらを見つめた。

刀。

覚悟。

「……頼久さんに会ってみる。会って頼んでみるよ」
「あ?お、おう」

唐突に立ち上がって宣言すると天真は面食らったような表情をした。
迷ってる場合じゃなかった。
覚悟ならある。あたしはこの運命も変えて、あの人の元に帰らなくちゃいけない。
もう一度刀をとることが何を引き起こすか、今はまだわからないけれど、あたしはもう大切な人を傷つけないって、決めた。






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