第二章「八つの葉」9






『あたしは戦えない』

『あなたたちの側には立てない』



はっきりと言い切ると、二人は言葉を失ったように押し黙った。
……沈黙が痛い。
でもこれがあたしの本心だから、自分で出した結論はこうだったから。


「……」

心底どうすりゃいいんだ、みたいな顔して、天真は腰に手を当ててもう片手で頭を掻いた。

「…だから帰れねぇ、って?」
「そうだよ」

またきっぱりと言い切ったから、しばらく困って黙り込むかなと思ったんだけど、意外にも天真はすぐに切り返してきた。

「じゃあ他にどうするんだ?帰る方法とかわかってんのか?」
「う」

切り返してきた…い、痛いところを。
思わず変な声を出したら、思いっきり呆れた顔をされる。

「『う』ってなぁ…」
「か、帰る方法はわかってるよ!多分!怨霊を封印して、五行の力を取り戻せば…」

逆鱗だってまた…使えるようになる、よね?
とっさにしどろもどろになっちゃったからか、さらに天真はつっこんできた。

「怨霊を封印。もしかして一人でか?」
「一人でも出来るよ。…封印は」

若干目をそらしつつ答える。
こんな言い訳じゃ甘いってわかってるんだけど…。

「怨霊は弱らせないと封印できないだろ。まさか素手で戦うって?」

…逃げ切れないよね、やっぱり。
どんどん痛いところを追いつめてくる天真に、今度はあたしの方が沈黙してしまった。
こっちが黙り込んで十秒、天真は頭を掻いていた手も腰に当ててため息をつく。
やれやれ、みたいな感じで。
ああもうどうせ武器については策無し考え中ですよ!悪かったね!
っていうか…本気でそこは、問題なんだよね。
五行の力って言っても、どれくらい封印すれば戻るのかはわからないし…。

「なあ、これでもまだ帰る気ないのか?」
「………」

追い打ちのように問われて、あたしはぐっと言葉に詰った。
岩の上で手を握りしめると爪が岩肌を引っ掻いて、かり、と小さな音を立てる。
……でも。
迷うあたしの脳裏に、あの邸で起こった一連の出来事がゆっくり浮かんで消えていった。

素直に、そうだねなんて、頷けない……。

もう一度、否を唱えようとした、その時。

「望美ちゃん」

今まで黙っていた詩紋が急に口を開いた。
あたしは驚いて顔を上げ、天真も詩紋の方を見る。

「……なに?」

一度二度、瞬きをしながら尋ねると、ちょっと話していい?と遠慮がちに言った。
こくり、と頷く。
すると詩紋は多少ためらった様子で、でも一言一言しっかりと、話し出した。

「……僕が、藤姫のお父さんと初めて会ったときね」

ふ、藤姫のお父さん?
いきなり何の話?
思わず天真と目を合わせる。でも詩紋は真剣な表情で言葉を続けた。

「藤姫のお父さん、僕の髪を見て『不思議な色だ』って言ったんだ」

その言葉に、話について行けてなかったあたしもさすがに目を丸くする。
それって…。

「それだけじゃなくて、笑って、『陽の光みたいだ』って、言ってくれたんだ」

金髪を、怖がらなかったってこと…?
ううん、それだけじゃない。
受け入れたんだ、その色ごと、その意味ごと。
左大臣、────京の貴族の筆頭とも言うべき人が。
あたしの驚きが表情を通して伝わったのか、詩紋は小さく頷いて微笑む。

「お邸の女房さんだってそうだよ。最初は僕が八葉だって言ってもみんな怖がってたけど、だんだんわかってくれたんだ。京の人にも、わかってくれる人はいるんだって思えて嬉しかった」
「………」

その気持ちにあたしは覚えがある。
あたしを、一瞬、気遣うように帰れって言った鬼の男の子がいた。
あたしも嬉しかった。鬼の人にも優しい人はいるんだって思った。
でも────。

「でもあたしは…」
「それにね…」

二人、口を開いた瞬間に言葉が重なって、反射的にお互い口をつぐむ。
…先に言って。
と目で促すと、詩紋は少しためらってからまた口を開いた。

「…たとえば望美ちゃんがこの時代に来たんじゃなくて、あかねちゃんが望美ちゃんの時代に一人で飛ばされちゃったとしたら…僕たちみんな、ものすごく心配すると思う。心配で心配で、でも何も出来ないよ。望美ちゃんの時代の八葉の人たちも、今きっとそうなんだよ」
「!」

みんな────あの人も。
きっと買い物に出たあたしが帰ってこなくて…心配してる。
もうどれだけ時間が経った?今頃探し回って、探し回って、疲れ切ってる頃だ。
思いつく限りのところは探して、疲れて、でもきっとまだ探して……。

詩紋はあたしの内心に走った動揺に気づいたように、少し苦しげに瞳を揺らした。
でも真剣な表情はそのまま。

「同じ八葉だから、会ったことなくてもわかるよ。もしあかねちゃんがこの立場だったとしても、望美ちゃんの八葉の人たちはあかねちゃんをほっといたりしない。僕らも同じ、望美ちゃんをこのまま一人にしておけないよ」

そして────。
すっと、手を差し出す。

「だから…一緒に帰ろう?」



白くて、きっとあたしとそんなに大きさも変わらないのに、強い意志を感じさせる男の子の手にあたしは戸惑った。
帰れないって思ったのはあたしが、鬼の姿で鬼じゃないから。
自分が『鬼』だとは言えない、でも鬼を憎む人たちの立場にも立てない。
あの場所にはいちゃいけないと思ったから。
だけど。

「……っ」

かり、
また爪が音を立てる。さっきとは逆に、岩の上で手を開いていた。


でも。
この手に応えていいの?
あたしはどこに立てばいい?


戸惑いがあたしを縛り付けたように動かせない。
そのとき。

「ほら」
「!」

目の前に、もう一つ手が差し出された。
最初に差し出されたときと同じ……あたしのより大きい、天真の手。
その手の向こう側にある顔が不意に笑った。

「一番問題なのは、だ。あんたを連れて帰らないとあかねと藤姫が激怒するってことだな」

へ?
天真の言った台詞に目を丸くする。
するとその隣で詩紋も笑った。

「僕らものすごく怒られるだろうね。あかねちゃんなんて自分で迎えに行くって、飛び出しちゃうかも」
「むちゃくちゃありうるな。で、あいつはそうやって勢いで行動したときに限ってトラブル起こすんだよ」
「そうそう。それでまた藤姫が泣くんだよね、神子様ーって」

ぽかんとして目が点になってるあたしを気にせず、二人はけらけらと笑う。
そしてひとしきり笑った後、もう一度あたしを見た。
手は、差し出されたまま。

「…ってわけだからさ、帰ろうぜ?通したい一線があるのはわかるけどな、無事じゃなきゃ元の時代にも帰れないんだからさ」




『あなたがいつか元の世界に帰ってしまうというのは、寂しいけれど────』

脳裏によぎる声。200年先にいるあたしの親友。

『それまでは、ここを自分の家だと思って頂戴ね』




「………」

あたしは、張りつめていた肩の力がゆるゆると抜けていくのを感じた。
どうしよう、朔。
この時代にも、あたしの手を引いてくれる人がいるみたいだよ。
……ああほんとに、通さなきゃいけない意地はあるけれど。
ね。

「………ふー…」

あたしは一度、体の中の空気を全部はきだすように息をつく。
そうして、もう一度新しい空気を吸い込むのと同時に。
ずっと岩の上についていた手を、離した。

「ありがとう」

二つの手を、同時に取る。右手で詩紋の手を、左手で天真の手を。
それからくしゃっと、肩をすくめるようにして笑った。

「…意地っ張りでごめん。」

二人は顔を見合わせて少し苦笑いする。
そして二つの手は両方同時に腕を引っ張って、
どこに立てばいいかわからなかったあたしを、立たせてくれた。













「神子様!ご無事でようございました!」
「あーよかったぁ望美ちゃん!もう少し遅かったら私も探しに行こうと思ってたんだよ!」

遅くなってからやっと帰ってきたあたしを、藤姫とあかねちゃんがよかったと言いながら迎える。
あたしの後ろで天真が「ほらな、間一髪だ」と言ったのをあかねちゃんが「え?」と聞きとがめて、天真は「なんでもねぇよ」と笑った。
つられてあたしと詩紋も笑った。



この時代のこと、鬼の人のこと、あたしがどうするべきかとか、まだ全くわからない。
なんせ鬼が京の敵だった時代だし。あたしにとっては見知らぬ土地で道に迷ってたら大雨が降ってきたような、そんなさんざんな状況で。

────でも、雨宿りできる場所を見つけた。

そこに立ち止まっていいのかはわからない。
でも一つ確かなことは、あなたはきっと、あたしが雨に濡れてないか心配してるってこと。
心配させたくないから、少し立ち止まるよ。いいよね?


着物の上から、鎖骨の下あたりをさわった。
肌より堅い感触がある。あたしを支えるもの。
…少し、あたたかくなったような気がした。

待ってて。絶対に帰るから────

待ってて。







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