間章「月の隠」 〜将臣〜 かた…と音を立てて入ってきた人影に、部屋の中にいた3人は顔を上げた。 「悪ぃ、遅くなった。いったん帰ってくるって言った時間、ちょっと過ぎたな」 部屋の中の3人────九郎、弁慶、景時は無言で彼を見つめる。 その視線に促されるように一つ苦笑して、将臣はどさりと座り込んだ。 「駄目だ…手当たり次第探してみたけど、全部外れだった」 その答えは、予想されたものだったが……3人はそれぞれに落胆の色を隠しきれない。 ────望美が消えた。 先の戦で源氏の神子が清盛と荼吉尼天を滅したのち、源氏と平家は和議を結ぶことにあいなった。 元々西国まで落ち延びた経験を持つ平家に再び京での栄華を極めようという思惑もなく、平家は上洛せず福原で、以前の通りの居住を約束される。 そして将臣は福原に残った。 彼にとって元の世界が懐かしくないはずは無かったが、それよりも激動の数年間を共にしたという血の繋がりより濃い絆を、彼は選んだのだ。 「もう大丈夫だとは思うんだけどさ。」 和議が成ったその日の夜に、将臣が望美に告げた言葉。 「あいつら、なんつーかほっとけねぇだろ?知盛にしても重衡にしてもどうもまとまりねぇし…戦で男手もだいぶ減ったしな。やっぱ最後まで面倒見てやりたくて」 だから────。 今度こそ、本当に別れの時が来たんだな、と思った。 やっとお互いに何も背負うもの無しに笑いあえる…はずだった。 しかし『源氏の神子』という重荷を望美が降ろしてしまえば、軽くなったその身は元の世界へと戻る引力に引き寄せられるだろう。 それが自然な流れなのだから。 つらくはあったが、身軽になれた望美を縛るつもりもなかった。 しかし。 そう告げられても、望美は驚きも寂しがりもせずじっと将臣を見つめ続けるのだ。 訝しく思って「なんだ、腹でも痛ぇのか?」と聞くと、やっとむっとした顔をして「違うよ!」と言う。 そしてそのまま俯いてしまって…再度将臣が声をかけようとした瞬間、肩で大きく深呼吸をした。 唐突に、将臣の腕を掴んで。俯いたまま。 「面倒見る人間…一人増えちゃ、駄目?」 少し震える小さな声で……そう言ったのだ。 二度と離れないために。 (そうだ…二度と離さねぇって、約束したのに) 京にいる元仲間や親友に会うために、将臣と望美が上洛することはそう珍しくない。 今回も、数日前から二人は京に入って九郎の邸に泊まっていた。 そして今日昼方、散歩に行ってくると出て行ったきり──── 望美は…帰宅しない。 最初はどこか知り合いの家にでも転がり込んで話が長引いているんだと思い、将臣は景時と弁慶のもとを訪ねた。 実際、望美は尼御前や重衡のところに行くとなかなか帰ってこないことがあったからだ。 しかし、誰の所にも望美は今日一日現れていないという。 「あいつのことだから、どっかで道草食ってる…」 言いつつ、将臣は御簾の向こうの空を見上げた。 陽の落ちきった少し雲がかった夜空は墨よりも黒く、その合間を縫って時折月が顔を出す。 「…ってレベルじゃねぇ、よな…さすがに遅すぎる。ったく望美のやつ…」 「将臣…」 「将臣くん…」 九郎と景時は言葉を見失って、中途半端に開きかけた口を結局閉じる。 将臣は口調こそいつも通り軽いが、どれほどの思いが渦巻いているだろう? やっと手に入れたはずの平穏から…一番大切なものだけ、滑り落ちてしまうかもしれない恐怖が。 「市で、人聞きをして回りましたが」 沈黙を静かに切り開くように弁慶が口を開く。 将臣は外を見ていた視線をはっと返した。 「ああ、悪いな一緒に探させちまって。でも何も手掛かり無かっただろ?市なら俺も見て回ったし…」 「ええ…めぼしいものは」 珍しく歯切れの悪い弁慶の口調が、この捜索の難航を語っている。 「俺もいろいろ回ってはみたが…それらしい話は聞かなかったな」 「こっちも同じく…だね。今日はどこかで騒ぎがあったって話すら聞かなかったよ」 「そう…それが問題なんです」 一つ声を低くした弁慶に、将臣を始め残りの二人も視線を一点に集めた。 「弁慶?どういうことだ」 眉をひそめて九郎が問う。 一方で将臣は胡座をかいていた片足を立て膝にして、思案するように後ろ頭を掻いた。 「それは俺も思ってた。他の女ならまだしも、あの望美だからな。騒ぎにならない方がおかしいってんだろ?」 「ええ…望美さんの腕や危機勘の鋭さは皆の認めるところです。拉致されたとしても…いくら油断していたからと言って、一声もあげられずに連れ去られる彼女ではないでしょう」 「それは…そうだね」 景時が相づちをうち、九郎がそれに頷く。 しかし考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。 望美はどこへ消えた? その身に何が起こった? 「さて…っと」 「将臣?」 突然将臣が立ち上がる。 そのまま部屋を出て行こうとする背中に慌てて九郎が声をかけた。 「お、おい!まさか今から探しに出るつもりなのか?もう夜更けなんだぞ!」 「ああ、わかってるさ。…でも」 将臣は一つ息をついて、肩越しに3人を振り返る。 その表情にうつるのは、いつも通りの笑顔と────微かな微かな焦燥。 「もしあいつが見つかるとしたら、昼も夜も関係ないからな。じっと待ってられるガラでもねぇしよ」 「…っそれは…」 「ああそうだ九郎、悪いけど馬一頭借りるぜ。俺のは1日走らせたから疲れてんだ」 あくまで軽い調子でそう言うと、将臣は片手で御簾を手繰り上げもう片手をひらひらと振りながら、誰一人に制止させるまもなく部屋を出て行ってしまった。 初夏の夜気は体感する温度が無いほどに曖昧だが、時折吹く風が素肌にひやりとする。 馬場の柔らかい土を踏むと、一瞬だけ雲が晴れて明るい月光が驚くほどはっきりと影を落とした。 今宵は満月だ。 静かにいななく鹿毛馬の轡を取りその背を優しく撫でてやりながら、将臣は見るともなしに月を見上げた。 (満月…か) そういやこっちで再会する前は…満月の夜だけ、夢で会えたんだよな。 望美に…。 「…冗談じゃねぇ」 低い声で呟き、馬の背に跨る。 もう会えないかも知れないなんて、そんな覚悟。 「二度とするかよ…っ」 ────鐙を蹴ると、馬は走り出す。 「……?」 不意に感じた違和感に、頼久は顔を上げた。 反射的にあたりを伺い…何の異変もないことを確認すると、今度は背後の、彼の主が眠る寝所に目を向ける。 しかし、何も変わった様子や気配はない。 「…気のせいか…」 張りつめさせた気を緩め、頼久はいつも通りの警護に戻る。 一瞬だけ──── 「……」 頼久は耳の宝玉に手を触れる。 一瞬だけ、この宝玉がちりっと熱を持った気がしたのだ。 しかし勘違いらしい。 ぱちっと爆ぜた篝火の揺らぎに、顔を上げる。 何かに誘われるようにそのまま上を見上げると、遙か天頂に月が懸かっていた。 空には雲一つなく、鮮烈な月光に頼久は少し目を細める。 今宵は────満月だ。 |