漆黒 3





いろんな顔を、思い出していた。


笑った顔…


『敦盛さんの笛の音、私好きですよ。とっても綺麗な音…』



怒った顔…


『どうしてそんな悲しいことばっかり言うんですか!?』



寂しげな顔…


『解き放ってあげなきゃ…うん。そうですよね…』



喜んだ顔…


『ありがとうございます!大切にしますね』



どうしてだろう、泣き顔しか思い出せなかったはずなのに。
あの人のよく変わる表情が次々に頭をよぎって。

…近づいている気がする……

掠れた声で呟いた。

「神子……」










「────敦盛さん!!」

突然空気が変わった。

強い風が頬に吹きつけ、びゅうと乱暴な音を鼓膜に残していく。
目は開けたが陽のもとに何時間も経っていたときのように視界が眩み、おまけに天地が急に逆さになったような感覚に襲われて、耐えられずよろめいた。

「!」

すぐそばで誰かの息を呑むような気配が、した、と。
感じた次の瞬間膝の力が抜け、体が地に崩れる。
しかしそれを支えた腕があった。

「きゃ…っ」

細い腕だ。小柄だとしても男の私を支えることなど無理だろう。
などとぼんやりと考えて、その腕が誰の物かを考えるのに少し時間がかかった。
腕の主をも巻き込んで、二人ずるずると地面に腰を下ろす。
また強い風が吹き付けた。今度はそこに潮の香りを認めることができた。
だんだん意識がはっきりしていく。

(私…は……?)
「敦盛さん!」

先刻よりも近くで声がした。
すうっと───水面の波紋が消えて凪ぐように、意識が明度を取り戻した。焦点が合う。

「敦盛さん…っ!しっかりして…!」

とくん、と、心臓がはねた。この声に。
うなだれていた頭を上げる。

「…み…こ…」

顔を上げた、そのちょうど刹那に。
目の前の少女の新緑のような瞳から、ひとしずくの涙がこぼれた。


なんと綺麗なものなのだろう、と


息を止めて見つめたのを彼女は知らずか、自分と目があった瞬間に泣き顔をくしゃっと歪めて縋りつくように抱きついてきた。

「……っ…っ……!」
「み…っ!?」

突然のぬくもりに驚いて硬直すると、背中に回された指がぎゅうっと服を握りしめる。
細い肩は小刻みに震えている。
声を殺して泣いているらしかった。

(これは)

本来なら、この腕を振りほどかなければならない。
自分は穢れた存在で、彼女は稀なる清き存在で、
自分は彼女を穢してしまうから。
しかし。

(夢)

恐る恐る、手を伸ばして。
泣いているせいで少し熱を持っている頭を撫でてみる。
細い髪の感触は滑らかだった。

(ではない)


自分は本当に帰ってきたのだ。
この人のいる世界に。
戒める鎖はいつの間にか無くなっていた。










帰ってきたのだ、と。
確信した瞬間に頭に血が上ったようになった。

「…?あ、つもりさ…っ」
「神子」

自分の膝の間にある小さな体を強く抱きしめ返す。
自分から進んで触れたのは初めてだ。己にはずっと禁じていたから。
しかし今はもうそんなことは考えたくなかった。
体を丸めるように肩口に顔を埋めると、自分と彼女の髪が混ざった。
ほどけた髪も乱れたままで、とても女性に見せられる姿ではないこともわかっていたが、
しかし今はもうそんなことは考えたくなかった。

幸福感と、罪悪感と、希望と後悔と嬉しさと悲しさと
全部がこの胸に渦巻いていたが全部もうどうでもよかった。
今は何も考えずに
言いたいことがただ一つ。


「好きだ」


抱きしめた体がふるりと小さくふるえた。
確かめるように一層抱きすくめて、もう一度言葉を紡ぐ。

「好きだ」

ずっとずっと胸にあった言葉。
ずっとずっと戒めていた言葉。
そしてもう逢えないと思ったときに、
告げていなかったことを一番後悔した言葉。

「好きなんだ」



口にすれば、何かが自分の中からすぅっと抜け落ちていくような不思議な感じがした。
代わりに清涼な流れが体を駆け抜けて、体が軽くなったように思う。
弱い力で肩を押されて顔を上げると、驚きに彩られた顔が自分を見つめていて、
涙の跡が残る頬が、やがて桜がほころぶように緩んだのを見たとき。

…本当に浅ましいまでに、この人が愛おしいのだと実感した。

あの優しい従兄弟の言葉を、信じてみようと思うほどに。


「…私もです」

頬に手が添えられる。
暖かいと思った。暖かいものは生きているからだといつか彼女は言っていた。
生きている。

「生きていてくれて…ありがとう。敦盛さん…」


怨霊としてあった身が、生きているとは言えない。
しかしこの想いは生きている。


再び涙の伝った頬に触れて、敦盛は吐息をこぼすように微笑んだ。





貴女に幸いを、と
それだけを願っていたが。
貴女の幸いが私とともにあるなら、
私は貴女のそばにいよう。










笑って
笑って
誰よりも幸せそうに笑っていて
悲しいことなんて思い出せないくらいに
それが私の一番の願い

───私を貴女につなぎ止める想い



〜END〜

な、長い…!
もうSSとは呼べない産物です。話を短くまとめるのがどうも苦手です。
無印の敦盛さんEDでは、敦盛さんが何の脈絡もなく帰ってきて「?」な感じだったので、あの間に何があったのか捏造してみました。 長い上に時間軸の移り変わりがわかりにくいものになってしまいましたが、楽しんで頂ければ幸いです。
改めて1000HITありがとうございました!
イメージソング 「漆黒」柴咲コウ


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