第一章「始まりの場所」2 私には。 「…こんな日に死ぬのも…悪くない…」 変えられない運命が。 「戦に勝つのは平家です」 あった。 幾度、時空を超えても、 幾度、足掻いてみても、 私は知盛の死を変えることが出来なかった。 生きてほしいと、どれだけ願っても、あの人はそれを嘲笑って海に落ちていった。 もう何度あの人の死を目にしただろう…。 そして、もう一人。 運命を違えてくれない人。 ───弁慶さん。 あの人が源氏を裏切らずに済むように、何度も時空を超えたけど。 何をしても、あの人は意志を貫いて。 そして源氏を、捨てた。 罪を、贖うために。 私は、あの人たちの運命を変えたいんだ。 わかってる、ここは戦場。 みんなが幸せになれるなんて思ってないけど。 せめて、手の届く範囲。 ちっぽけな手だけど、それでも抱えられるだけの運命を、幸せにしたい。 なんて、傲慢─── なんだろうか。 「望美?」 「!」 突然朔に声をかけられて、肩がぴくりと震えた。 「え?あ、なに?」 「…大丈夫?少し顔色が悪いようだけど」 「ううん、全然大丈夫!」 慌てて首を振ると、朔はほっと微笑んで「そう」と言った。 駄目だ駄目だ。 未来を変えるためにも、今に集中しなくちゃいけないのに。 朔に心配させてるようじゃ…。 「神子!」 急に、白龍が切羽詰まった声で叫んだ。 「どしたの白龍?」 「来るよ…また、怨霊が近付いてくる!」 「!!」 朔と二人、弾かれたように周囲を見渡す。 一面の雪原の中、不自然な動きで近付いてくる鎧武者が…1体…2体…以上… 囲まれてる! 私は眉をしかめながら剣を構えた。 怨霊なら、封印してしまえば何とかなる。 最初の運命でも、何とかなったんだから。 「……」 そのとき。 ふ、と何かが脳裏をよぎった。 ……『最初の運命でも』? 「───っ!!」 「先輩っ!」 慌てて振り返ろうとするのと、どんっと背中に何かが当たるのは、同時。 そして…ざくっと鏃が皮膚を裂く、嫌な音がするのも。 「春日先輩!大丈夫ですか!?」 振り返る。 すぐ後ろにある幼馴染みの顔。 その肩口から流れる…。 血。 さぁっと、自分の体からも血の気が引いていくのが分かった。 なのにどくどくと心臓が動いて、冷たい汗が手ににじむ。 「何やってるの!!無茶しないで!!」 気付いたら…怒鳴っていた。 一瞬、怯んだように目を丸くした譲くんは、すぐに表情を険しくする。 「何言ってるんですか!!先輩こそ無茶しないで下さい!!」 どくん、どくん… 心臓が跳ねる度にずきずきと胸が痛い。 私はこの運命を一度、通って来てる。 つまり、知ってるんだ。 何が、起こるのか。 この場所で…譲くんが私を庇って怪我をすることも…。 私は知っていたのに。 ───それを避けられたのに。 「ごめんね…っ」 思わず、顔を歪めて謝ると、譲くんは急に焦ったような表情になる。 「えっ…せ、先輩?すみません、あの、…言い過ぎました」 でも私は、ふるふると首を振った。 違う…。 違うんだ、私は…っ! もっとちゃんとしなきゃ、あの人たちの運命なんて変えられるはずがないのに…! もっとしっかりしなくちゃいけないのに! 「先輩…?」 「譲くん…ごめんね」 私は、静かに顔を上げる。 思い悩むのは、後だった。 今は、目の前の運命を少しでもいい方向に向けること。 それに集中しなくちゃいけないんだ。 ───強く、ならないと。 ゆっくりと、禍々しい気を放って近付いてくる怨霊をにらみ据える。 「来るよ───戦おう」 私は真っ直ぐに、剣を構えた。 「すごいな…先輩、剣なんか使えたんですか?」 「ん?」 戦いが終わって…橋姫神社に向かう途中、不意に譲くんが声をかけてきた。 あ…そっか。 譲くんはここで初めて私と一緒に戦ったんだよね…。 「すごくなんかないよ。譲くんにどう見えてるかわかんないけど、内心もう必死なんだから」 言って、苦笑する。 うん、最初はほんとにそうだったから。 「でも望美はほんとにすごいわ。基本がしっかりしてる…誰かに剣を習ったの?」 朔までそう言ってくれるから、ちょっと苦しい話題なのに話をそらしにくくなった。 「そういうわけじゃないよ」 先生と、朔と───なんて、言えないからね。 ちょうどそのときタイミングよく、雪の中に橋姫神社が見えて来た。 神社からは大勢の人の気配がする。 「良かった…源氏の人たちと合流できそうね」 ほっとしたように呟く、朔の声にはっとした。 源氏の人たち───。 そうだ、ここで、確か…。 「そこの者!何をしている!」 …九郎さんに、会ったんだ。 雪の中にたたずんでこっちを睨みつけている九郎さんは、当たり前だけど全然変わってない。 不機嫌そうな眉間の皺もいつもどおりだ。 「九郎殿…」 朔が私と譲くんを庇うように前に歩み出る。 すると九郎さんの目が少し見開いて。 その後、ほんの少しだけ…ほっとしたように細まった。 あ…なんだ。 初めて会ったときはそんな余裕なくて、気付かなかったけど。 心配、してたんだ。 朔のこと。 「…景時の妹御か。…勝手に隊を離れられては困る。女人の足では辛いかと思うが、これは遊びではないんだ」 「…!申し訳ありません…」 でもやっぱり九郎さんは朔を怒るから…今度は私が朔を庇って前に出た。 九郎さんの目が、今度は不信げに細められる。 私はひるまずに先手を打った。 「隊を離れたのは問題かもしれないんですけど。…朔は怨霊に囲まれて、動けなくなってただけなんです」 だから、理由を聞かずに怒らないでください。 そう言うと、九郎さんは一つ苦い顔をする。 「平家の放った怨霊か…」 けれどすぐ、気を取り直したように私を睨みつけてきた。 「理由はわかったが、朔殿、この者たちは?」 朔がはっと顔をあげて、私たちの説明をしかけた…… そのとき。 「そのくらいにしたらどうですか、九郎。」 柔らかい、声が…聞こえた。 「気にしないで下さい、朔殿。九郎は心配していただけなんですよ。」 柔らかい、 豊かな音律の、 落ち着いた声。 声と同じで柔らかく整った顔が、ふっと微笑むのが思い浮かぶ。 覚えてるから。この人とここで初めて会ったときのこと。 …何て綺麗なひとだろうと、思ったんだ。男の人なのに。 「…弁慶」 九郎さんがそう口にした時、私の体が誰にも知られないようにぴくりと震えた。 そっと……顔をあげる。 私たちの方を向いて穏やかに微笑んでいる人。 外套に隠れた飴色の髪も、 琥珀を磨いたような瞳も、 冗談みたいに綺麗な顔も何一つ変わってないのに───。 「申し遅れました…僕は武蔵坊弁慶といいます」 もう私にはその笑顔が、前にこの場所で見たそれと同じには見えない。 笑顔の仮面。 最期の瞬間まで、本当の顔を見せてくれなかった人。 今、私たちと初めて会ったこの時から、この人は…源氏を裏切ることを思っていたんだろうか? だとしたら。 「………」 私は一瞬だけ躊躇してから、なんでもないような笑顔を作って、名乗った。 「私は、春日望美です」 初めまして、と。 私は貴方を信じない。 貴方を信じないで、信じないで。 そして。 きっと最後に、救ってみせる───。 |