第二章「そして運命は流転する」3 試されてる。 そう考えた瞬間、頭がすっと冷えた。 「別に、どうしてって」 弁慶さんの顔は見ずに、答える。 「一日中家にいるのは手持ちぶさたでしたから。朔に稽古は止められちゃったし…でも」 こつん、と、足先で小石を蹴った。 「…何かしてないと、落ち着かないから」 そう言った後…沈黙が落ちた。 弁慶さんの反応が、ない。 「………」 あれ? と思って、恐る恐る顔を上げると、弁慶さんはじっと私を見ていた。 それも。 初めて見るくらい…真剣な表情で。 「…っ」 射抜かれたように動けなくなる。 まさか…… 何か怪しまれた? 凍り付く一瞬。 しかし次の瞬間────。 「残念だな」 弁慶さんはあっさりと笑顔を作って、外套の中で小さく肩をすくめた。 私は…ばれないように張りつめていた息を吐く。 体を縛っていた縄がするりと解けたような感じ。 「残念…?」 「ええ、僕に興味を持ってくれたんだったら、嬉しかったんですけど」 なんて、冗談を言ってみせる。 もうさっきの凍てつくような緊張感は、どこへやら…。 私はふー…と遠慮なくため息をついて、弁慶さんを上目遣いに睨んだ。 「そういう冗談、苦手なんですけど。」 「おや心外ですね。本気だとは思ってくれないんですか?花の神子姫に興味を持たれるなんてこれ以上の喜びはありませんよ」 …うそばっか。 本気、だなんてそれこそ悪い冗談。 あなたに誰が興味を持とうが、そんなの全然気にしないくせに。 あなたの心は、たった一つの事に向けられて…動かないくせに。 そうやってうつむいた横顔を、弁慶さんがまたじっと見つめていたことなんて…私は気づかなかった。 そのまましばらくまた、無言で歩いていたのに…急に弁慶さんが口を開いた。 「ねえ、望美さん。今朝朔殿があんなにも君を休ませたがったの、何故かわかりますか」 え? と顔を上げる。 また話題が突拍子もない。 「わかりません…。弁慶さん、分かるんですか?」 「…たぶん、ね。わかりますよ」 そう、彼は答える。 なんでわかるの?なにかあったの? 「理由って、聞いても?」 何かあったのかもしれない。自分の知らないところで、何か。 それがこの先の運命を左右してるかも知れないって考えると、いてもたってもいられなかった。 すぐに答えてくれない弁慶さんに、思わず外套の端を掴んで問いつめる。 「ね、教えて…っ」 「君の」 「!」 びくりと水で打たれたように体が強ばる。 頬に…。 指が触れた。 弁慶さんの。 「君のその、顔です。時々…そんな顔をする」 「か、…ぉ…?」 「そうです。気づいていないんですか?…そんなに必死な、追いつめられたような顔をしているのに」 弁慶さんはすっと目を細めて、 私の頬に指を滑らせて… 離れた。 「君が素振りをしているのを、ちらっと様子見に行ったことがあります。その時も君はそんな顔をしていた。 僕が見ているのも気づかず…一心にね。あんまりせっぱ詰まった表情で稽古をしていたから、朔殿は心配になったんですよ」 稽古を、見られてた? 私は目を丸くして、弁慶さんを見つめた。 言葉通り、…全然気づいてなかったから。 「君のその表情は、戦場に出る自分の命を守るための必死さとはまた違います。どちらかというと… 必死で何かを手に入れようとする、ような」 どくんと心臓が跳ねたのがわかった。 私が、手に入れたいもの。 それは。 それは。 ざり… 無意識のうちに後ずさる。 弁慶さんが、手を伸ばしかけた。 その時。 「弁慶先生!」 「!」 私と弁慶さんは、はじかれたように振り返った。 見ると、そこには見たこともないおじいさんが立っていて。 だ…誰? 固まってる私の横を、弁慶さんは微笑んで一歩踏み出す。 「ああ、お久しぶりですね。足の具合は良くなりましたか」 「それはもう、おかげさまで…。いつ戻ってきて下さったんですか…?」 「残念ながら長居は出来ないんですよ」 なんだか和やかに会話を始める二人。 弁慶さんの知り合い? 「先生、そちらの方は…」 ふと。 後ろでつっ立ってる私に、おじいさんの目線が動いた。 わ、私? なんて言えばいいんだろ…って、弁慶さんを見ると、彼は私の肩をそっと押しておじいさんに紹介するみたいにした。 「今日、僕の手伝いをしてくれる女性です。昔の小屋はまだありますか?」 え?手伝い?小屋? 「ええもちろんです。弁慶先生が帰ってきてくれると思って、みんなで修繕してたんですよ」 「そうですか…ありがとう。直してくれた小屋を見るのが楽しみですね」 そう言うと、おじいさんは「さぁさぁ」とか言いつつ歩いていってしまう。 え、…結局どういうこと? 「べ、弁慶さん?」 助けを求めるように外套の端をちょんちょんと引っ張ると、弁慶さんはすみませんと言って 苦笑した。 「今日僕が何をする予定だったか、まだ教えてませんでしたよね」 こくこくと頷く。 でも何か…想像できそうなんだけど。 「もしかして…薬師のお仕事ですか?」 そう問うと、思った通り弁慶さんは頷いた。 「そうなんです。今の方は昔の患者さんでね。久しぶりに京に来たので薬を置いて行こうと思って。 ああ、心配しなくてもさっきはああ言いましたが、君を手伝わせるつもりは…」 彼が、そこまで言った時──── 「手伝います!」 ────頭よりも口が先に動いていた。 弁慶さんの目が、一瞬丸くなる。 その表情に、自分が大声を出していたことに気づいた。 「あ、ご、ごめんなさい!」 思わず掴んでいた外套をぱっと離す。 でも…。 手伝い、たい。 京の人を助けるんだとか、そんな大それたこと思ってないけど、それが今自分にできる目の前のことなら… 私はそれをやりたいと思う。 「じっとしてられないんです。人が元気になるためなら、なんでもお手伝いしたい」 「………」 縋るような瞳で見上げる。 「駄目、…ですか」 やっぱ、素人が薬師の助手なんて、無理かな…。 そう怖じ気づきそうになった瞬間。 ふっと弁慶さんが、微笑った。 それは…。 「………っ」 思わず息を呑むほどの、見たこともないような、やさしい笑み。 硬い黄玉だと思ってた瞳が、実りの穂のようにあたたかく揺れて。 目を奪われた。 「じゃあ、お願いします。」 「は、はい」 ぎこちなく、何とか返事をする。 心臓が早鐘みたいで… ……って。 え、今なんて言った? ────『お願いします』? 「え!?いいんですか?」 慌てて身を乗り出す。このタイミングってかなり間抜けだ。 弁慶さんは、ええ、と頷いた。 「君さえいいなら、願ってもないことですよ。そうですね、今日は久しぶりなので患者も多そうだし… 手伝ってもらおうかな」 「はい!」 もう反射的に頷くと、弁慶さんは「じゃあ行きましょうか」と言って踵を返した。 歩くたびに揺れる黒衣の後を、一歩分離れてついて行く。 さっき、この人を警戒して離れて歩いてたのとは、違う。 隣なんて歩けなかった。 ────まだ、心臓がどきどきしてたから。 弁慶さんは嫌い。 弁慶さんの笑顔が嫌い。 全部嘘だと思ってたから。 でも────。 さっきの微笑みは、いつものと違った。 『本当』に見えた。 あんな風に、笑う人、だったんだ…? 「……っ」 脳裏をよぎった言葉に、我ながら赤面する。 あの笑顔なら…… すき。 |