第二章「そして運命は流転する」 8







「…!先輩!」
「お帰りなさい!神子!」
「望美、遅いから心配したのよ!」
「何かあったのかと思っちゃったよ」

邸に帰ると、案の定みんなが総出で出迎えてくれた。
全員が一つの部屋に集まって、待っててくれたんだ。
暗い夜道から、蛍光灯よりは暗いけどあたたかい油灯のあかりにつつまれて、ちょっとほっとした。
両手を合わせてへへ、と笑う。

「ごめんね心配かけて。弁慶さんの薬師のお仕事手伝ってたら、遅くなっちゃった…」
「…まったく弁慶殿ったら、望美を任せたのにこんな時間まで…」

朔が腰に手を当てて眉を寄せる。
ご立腹な様子に私は苦笑して首を振った。

「弁慶さんのせいじゃないよ、患者さんも多かったし。他にもいろいろあって…弁慶さんはちゃんとそこまで送ってくれたよ」

あー…、あとヒノエくん────四人目の八葉にも会ったんだよ、って、…みんなに言わなきゃいけないんだけど…。
いけないんだけど…。

「ごめん」

譲くんやら朔やら、まだ何か言いたげなみんなを押しとどめるように、私は切り出した。

「今日はもう、先に寝ちゃっていい?何か疲れちゃって」

本当に疲れたような顔をして笑ってみせると、景時さんがすぐに言葉尻を拾って頷いてくれる。

「そうだよね!明日は九郎も合流できるし、今日はゆっくり休んだ方が良いよ!」
「じゃあ床の用意を手伝うわ」

朔も頷いてくれた。
私はほっとして、踵を返そうとする…

そのとき。


「神子!私も一緒に眠る!」

とたたっと、足下に走り寄ってきた白龍に私ははっとした。

「!」
「?」

思わず目を見開いて見つめると、白龍はきょとんとして私を見つめ返す。
……あ、まずい。
慌てて表情を取り繕って、私は笑顔を浮かべた。

「ごめんね白龍、今日はすごく疲れてるから…景時さんたちと一緒に、寝てくれるかな」

そう言うと、白龍はこんな風に拒否されると思ってなかったのか、大きな瞳を丸くした。
ちくんと胸が痛む。

「今日だけだって白龍。…望美ちゃんを一人で休ませてあげてよ」

景時さんに優しく頭を撫でられると、白龍はそれ以上口答えすることはなかった。
ただじっと、私を見つめたまま。
………ごめんね、白龍。
心の中で謝って、今度こそ私は踵を返した。












望美が去った後も、白龍はじっとその場に立ちつくしていた。
自分も部屋に戻ろうとした譲がそれに気づいて、声をかける。

「どうしたんだ?白龍。部屋に帰るぞ」

白龍は譲の顔を見上げて、呟く。

「神子に…」
「ん?」

白龍は、心ここにあらずといった様子でまた、望美の立ち去った方を見つめる。

「神子に…『来ないで』って、言われた…」

ぽつりと、小さな悲しみを抱えた声。
しかし譲は、白龍の言葉を大げさな、と苦笑した。

「違うだろ白龍。先輩はそう言う意味で言ったんじゃないよ」

ほら、行くぞ。と肩を押されて、白龍はこくりと頷いて歩き出す。
しかしその心の中はもやもやと淀んだまま。

(…そうじゃない────)

白龍は今一度望美の去った方を振り返った。
さっき、望美が自分を見て、笑顔を作ったとき。

(聞こえた、神子の心の声────『来ないで』、って……)













「それじゃ、お休みなさい」
「ありがとう朔。お休み」

……やっと、一人になれた。
朔の足音が遠ざかってから、私はおもむろに身を起こした。
御簾越しの月光が、部屋の中をちょうど半分、照らし出している。
こっちは明るくて、あっちは暗い。今日のことを思い出した。

「……………」


弁慶────さん。



嫌いだと思った。
目的のためなら、私や、九郎さんや、源氏や────自分自身でさえ、棄てられる人。
誰にでも向ける笑顔の下は、冷静で、冷酷で、罪にとらわれて生きてくれない。頑なな人。私を拒絶する。
嫌いだと思った────のに。

今日見た、「もう一つの顔」に動揺が隠せなかった。
薬師の仕事を手伝うって私が言ったとき、ふっと緩むように見せたあの笑顔。それがいつもの作った笑顔と、全然違うことに気付いたから……。

「………っ」

大袿を胸まで引き寄せて膝を抱える。



どっちが本当?



もし、もし今日見たあの笑顔が本当なら…私はあなたを間違えてた?
あなたを救えなかったのは、私が本当のあなたを知らなかったから?
作り物の笑顔の下の怜悧さがあなたの本当だと思ったのに────。

「……わかんない…」

わかんないよ。
外側を信じたら裏切られたから、内側を疑って暴いたつもりでいたのに、また新しい顔を見せる。
どれが本当?

────でも。
褥をよぎる光と闇の境界線が、月がかげった瞬間に一度ふっとぼやけて、またくっきりとした線を成した。
あの人の新しい表情を知ったこと。そして、この今日でヒノエくんに会うことが出来たこと。
何かが変わり始めてるのは確か。
私は懐から逆鱗を取り出した。
月の光を反射して、それはきらきらと虹色に輝く。

「大丈夫……」

逆鱗に、口づけるようにして呟く。
大丈夫。まだ希望はある。
私があの人を、助けたいのは確かだから。






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