「まあ、何というか…」 その後、皆が集まっての話し合いが済んだ後… 弁慶とヒノエは、神妙な顔で廊を歩いていた。 「望美さんにこれまで既に恋仲の男性がいた、というわけではないのは、幸いでした」 「それは同感だね。それにしても…」 二人して一度押し黙り、先刻の会話を頭の中で反芻する。 『ちが、そんな、20歳以上年上の人好きになったのなんてその時だけだし…!』 『そもそもそんなに真面目に好きになった人なんか…あんまり、その、今まで、その』 『だから年上が好きって言うか…いや、でも年上の人には憧れるけど…』 『お、同い年?うーんやっぱり普通に考えたらそうなんだろうな…学校とかでは…』 「…これといって、彼女自身に理想があるわけではないみたいですね」 しどろもどろでも引き出した望美の言葉をまとめて、弁慶はそう評する。 ヒノエもそれには素直に頷いた。 「ま、そんなとこかな。……まあ結局は、同い年あたりが一番可能性があるってことだろ?」 しかし、その最後の台詞に弁慶は眉を上げる。 「どこをどうしたらそういう話になるんです。望美さんは年上にも憧れると言ってたじゃないですか」 「憧れと恋愛は違うぜ?お・じ・さん」 「それはどちらの意味の『おじさん』でしょうね。若さしか盾に出来ないとは、熊野別当の名が泣きますよ」 こんなレベルの言い合いをしている時点で、熊野別当の名も源氏軍師の名もあったものじゃないと指摘する者は残念ながらいない。 二人はひとしきり非生産的な雑言を交わした後、ちらりと視線をからませた。 ともかくも望美に今、特定の想い人はいないらしい。 となればこれは─── 「どっちが望美の心を手に入れるか…」 ヒノエはにやりと、挑発的な笑みを浮かべる。 弁慶も零度を感じさせる笑みでそれに応えた。 「ええ、ここは先手必勝……」 「だな!」 「「………」」 二人は思わず顔を見合わせたまま沈黙する。 最後に聞こえた一声、それは弁慶の声でもヒノエの声でもなかった。 しかし二人ともに、覚えのある声だ。 「「………」」 嫌な予感がどうか外れてくれないかと、ささやかな願いを胸にしながら二人は同時に振り返った。 その小さな願いを聞き届けてくれる神はいなかったようだけれど。 「よお、お前ら!元気でやってるな!」 ここにいるのが当たり前だとでも言いたげなその笑顔。 弁慶は兄の、ヒノエは父親の顔をそこに認めて… 「「………」」 無言のまま、しかし二人見事なタイミングで、 どすっ 「ぐほぁ!!」 迷わず第三者の腹に裏拳を叩き込んだ。 「いつからそこにいたんですか?いい歳して弟と息子の会話を盗み聞きとは、堕ちたものですね」 「帰ってきてから姿が見えねぇからてっきり本宮に取り残されてるのかと思いきや…ここで何してんだよ、クソ親父」 「ちっとおま…ら…っ、出てきただけなのにこの仕打ちはひでぇだろ…」 腹部を押さえて涙目になっている湛快に、二人は冷ややかな目を向ける。その目がお互いにそっくりで。 どうしてそんな所だけ似てるんだ、と、湛快は藤原家の遺伝法則をちょっと恨んだ。 「まあ…つまり、あれだ」 何とか腹の痛みからも回復して体面を繕った湛快がごほんと咳払いするのを、弁慶とヒノエはことさら胡散臭そうな目で見ている。 「お前らがこの宿に泊まってるって聞いて来たんだがな、何やら面白そうな話してんじゃねぇか。ん?何?あの可愛らしい源氏のお嬢ちゃんは渋いおじさまが好みだって?俺もまだまだいけるんじゃねぇかと思ってな」 「そこから聞いてやがったのか…」 「しかも哀れなほど話を曲解してますね。これ以上の恥をさらす前に黙らせてあげましょうか」 弁慶は早くも薙刀に手をかけるが。 二人には一抹の不安があった。 結局望美から聞き出したところ、彼女が本気と言えるほどの想いを寄せていたのは、最初の話に出てきた『たんにん』の先生だったというあの男だけだ。 20歳近く年上、かつ妻子持ち。 湛快はその全ての符号において一致している。 ものすごくあり得なさそうだが、もし万一、望美が本当にそういうタイプ専門だったら───? (くそ…色親父め) (面倒くさいのが一人増えましたね…) こうして、真夏の熊野で、文字通りの三つ巴戦が繰り広げられることになった。 (あ────) 弁慶が皆のいた広間の前の廊まで戻ってきたとき、ちょうど御簾が内側から持ち上げられた。 中から覗いたのは紫苑の長い髪。 望美だ、とわかった瞬間、弁慶は声をかけようとした。 ところが。 「!」 「…え?えっ、何これ!」 望美の上から、急にひらひらと花びらが降ってきて、弁慶も思わず声をかける機会を逸する。 驚いた望美と、まさかと眉をしかめた弁慶が同時に上を見上げると、屋根の上から花びらと同じようにひらりと降りてきた人影があった。 「ヒノエくん!何してるのそんなところで!」 「やあ、姫君。お前こそどこに行くんだい?」 ヒノエが勝ち誇ったような目線を一瞬こちらに向けたのに、弁慶が気づかないわけはなかった。 ────先手必勝だぜ、弁慶? 目線でそう語って、ヒノエはこれ見よがしに望美の肩に手をかける。望美は弁慶の存在に気づいていない。 「え?私は暇だし稽古でもしようかと思って…部屋に剣を取りに行くところだったんだけど」 「稽古か。そんな真面目なところもいいけど…暇なら今日はオレに付き合わない?」 「付き合う?」 どこへ?…と望美が当然の疑問を口にするより前に、ヒノエは足下に散った花びらを一枚、拾い上げた。 そしてそれを、望美の髪にそっと飾ってにこりと笑う。 「オレしか知らないとっておきの場所があってね。姫君をそこに案内したいと思って」 どう? と微笑みかけると、望美は微かに頬を染めて落ち着かなげに髪に触れた。 器用に挿された花びらは落ちはしない。 「退屈だったから嬉しいけど…いいの?そんな特別な場所に私が連れて行ってもらっても?」 「もちろん、お前だから連れて行きたいんだよ。熊野を案内するって約束しただろ?」 そういわれても望美は「私一人だけ…」と躊躇していたが、ヒノエの「今は夏咲きの花が満開なんだ」という最後の一押しで決心したようだった。 「満開!?見たい!」 「じゃ、決まりだね。楽しみにしときなよ、絶対後悔させないから」 それじゃあさっそく行こうか?とヒノエが望美の手を取り、二人は立ちすくむ弁慶に背を向ける。 否。 やはり最後に、望美に気づかれないように振り返ったヒノエが、弁慶に向かってひらりと手を振った。 「────……」 二人が去るのを、黙って見送った弁慶は。 「……全く」 しばらく突っ立ったままだったが、やがて一つ小さなため息をついて一歩踏み出した。 望美の立っていたところまで来て、ヒノエのばらまいた花びらを一枚、拾い上げる。 そして呟いた。 「…演出がクサいですよ、ヒノエ。」 花吹雪はないでしょう、花吹雪は。 |