第一章「鈴の音」2 ん……。 なんか、冷たい。 頬が。 っていうか。 体が痛い。 堅い? あたしどこかに寝転んでる? 堅いところ。 木の……床? 「ん……」 小さく呻いて、手を握る。 あ…動く。何かに触ってる。 でも砂の感触じゃない。 「う……」 何とか、体を起こして、ゆっくり目を開いてみた。 でもまさか。 「…へ………?」 ここまで、わけの分かんない状況に置かれているとは思わなかったけど。 あたしはどこか、かなり立派な屋敷の一室にいた。 そしてその部屋には、あたし以外に二人の人間がいて。 肩までの髪と…おっきな瞳を真ん丸にしてこっちを凝視してる女の子と、貴族風の出で立ちなのに緩くウェーブした長い髪をまとめてもいない男の人。 …リン…… 「え?」 その女の子の方と目が合った瞬間、また微かに鈴の音が聞こえた気がした。 ……どうなってるの? ……誰?あなたたち。 っていうか今までの流れからいくと、これって向こうのセリフなんだろうけど。 きっと…突然あたしが、この場に現れたんだよね? 「あちらの考えることもよく解らないな…」 「ふぇ!?」 な、なに!? 突然、男の人の方が口を開いたから、あたしはびくっと跳ね上がってそっちに釘付けになる。 その人は、なんかやたら優雅に扇を弄びながら一人言のように呟いた。 「こんなに愛らしい部下がいるなら、始めから差し向けていてくれたらよかったのに」 「……」 …何? 『部下』? ……何のこと? あたしがわけもわからずに、ぽかんとしていると。 ぱちん。 男の人は、弄んでいた扇を閉じた。そして不意に視線を鋭くして、あたしにこう言ったんだ。 「さて、何のつもりかな?鬼の娘。」 「……!」 ────『鬼』。 その言葉が、自分に向けられたのは本当に久しぶりだった。 まだこっちの世界に来たばかりの頃は、ときどき嫌味な貴族とかに言われたことはあったけど、源氏の神子としての働きを見せるようになってからはみんな受け入れてくれたから。 あたしは母親がドイツ人で…その母親に瓜二つだから、髪も金色だし目も青い。 現代にいたときも、ハーフなんだけど生粋の外国人だと間違われることが多かった。 それも向こうでは、あまり気にするようなことではなかったけど。 こっちでは違う。 この…金の髪と青い瞳。 この世界では蔑視される… 『鬼』の証。 あたしはとっさに返す言葉を見失って、その場に固まってしまった。 そのとき。 「きゃあぁぁっ!」 「!!」 突然聞こえた悲鳴にばっと振り返る。見るとこの部屋の入り口で座り込んでいる女の人の姿があった。 「だっ…誰か!早く!鬼…っ、鬼が!」 「な…っ!」 あたしは思わず立ち上がった。瞬間女の人は「ひぃっ!」と悲鳴をあげて失神してしまう。 嘘でしょ…。 でもこの状況って…。…鬼って…あたしのこと? 人の声が近付いてくる。 …や、ばい。 よね? だっ! どうするかはっきりと決める前に、あたしは部屋を飛び出していた。 戦の中で研ぎ澄まされた感覚が、自分が敵意の中心にいることを教えていた。 よく分かんないけど、取りあえず逃げなきゃ…! でも、何この広い屋敷! どっちが出口!? 「鬼め!覚悟!」 「!」 不意に背後で膨れ上がった殺気に、ほとんど本能で身を翻す。 ざんっ! 半瞬前まであたしが立っていた地面に突き立ったのは…紛れもない、刀。 もう見ることもないと思っていた物。 久々の緊張感に、思わず、こくりと喉がなる。 なんで? 刀を向けられてるの? 「せぃっ!」 「くっ…!」 男がまた刀を振りかざしたから、あたしは慌てて間合いを取った。 どうしよう…こっちは丸腰だし…。 でも、この相手なら。 いけるか? たんっ 男が刀を降り降ろそうとした瞬間、あたしは強く地面を蹴って間合いを詰めた。 一瞬で相手の懐に飛び込み、ありったけの力を込めて当て身を食らわせる。 「ぐぅ…っ」 低く呻いて、男は地面に倒れこんだ。 …良かった。 まだそんなに、勘は鈍ってないみたい。 でも…早く逃げなきゃ。まだ人が集まってきそう。 取りあえずこの人が来たのと反対に逃げてみるか…。 そう思って、足を踏み出そうとした、 刹那。 ぞく…っ 「──────っ!!」 さっきとは…比べ物にならないくらいの威圧感。 あたしは反射的に、倒れた男の刀を奪っていた。 ───ガキィッン!! 迷いなく、振り降ろされた刀。 すんでのところで、受け止めた刀。 …悲鳴をあげる、ところだった。 ものすごい斬撃と、殺気に。 平家との戦の間でも、ここまでの威圧感を放つ武将はそういなかった。今あたしと剣を合わせている、この人ほどには。 青い髪を一つにまとめた、背の高い人。貴族の屋敷にこんな強い人がいるなんて…。 「くっ…ぅ…!」 じり、と、あたしの刀が押し負けていく。腕が震えた。 どうしよう。 このままじゃ負ける。 ちり…っ 「!」 突然に刃先が滑って、相手が間合いを取った。 あたしも慌てて退いて、体勢を立て直す。 間もなく。 キンッ! 「っく!」 今度は横薙ぎにやってきた刃を、必死で受け止め受け流した。その衝撃と同時に。 「……っ!」 くらっ と、目眩がした。 うそ…なんでこんな時に!? 体が重い…っ! キンッ! キンッ! そのまま数戟なんとか堪えて…今度はあたしから間合いを取った。 「はぁっ…は…」 息を弾ませながら睨みつけると、射抜かれそうな眼光でにらみ返して来る相手。本気であたしを殺そうとしているのが伝わって来た。 どうしよう。 あたしここで死ぬのかな。 こんなわけ分かんない状況で。 「……」 ふと、あの人の顔が浮かんだ。 ───まだ。 死ねない。 「あたしは鬼じゃない!!」 声を張り上げて叫ぶと、相手の動きが一瞬止まった。 そうだ、こんなところで死んでたまるか。 まだ弁解もしてなかった。 足掻くんだ。 「害意はない!刀を降ろして!」 重ねて叫んだけど…相手は少し眉を寄せただけで、構えは解かなかった。 当たり前か…こっちが構えたまんまなんだから。害意がないなんて言葉、説得力がない。 くら…っ 「──っ!」 また来た目眩に唇を噛み締める。 迷ってる暇はない。 …賭けに、でなきゃ。 …かしゃん。 あたしは、その場に刀を放り出していた。 「あたしは鬼じゃない…」 これが、害意がないことの…証明。 でもこれはほんとにいちかばちかの賭け。 相手が受け入れるか、 問答無用で切り捨てるか。 空になった手を握り締めて、あたしは相手を睨み据える。 ────生か 相手の刀の刃先が、少し上がった。 思わず目をつぶる。 ────死か? 空を斬る音。 覚悟したその瞬間に、一際大きな目眩がやってきて。 「だめぇっ!頼久さんっ!」 誰かの声が聞こえた気がした。 |