第二章「八つの葉」4





誰にも気づかれないように小さく深呼吸をした。
そっと顔を上げると、ちょうど正面に座っている泰明さんと目が合う。
左右で違う、不思議な色の瞳────でも先生とは違う。
先生の青い瞳はあたしと同じ、この世界では鬼の証。


「最後に」

声を出すと、自分のその声がかつんと空気に反射するような気がした。
この感覚をあたしは覚えてる。
敵将を前にして、名乗りを上げるときと同じ感じ。
あたしはこの時代の固定概念に挑む。

「───地の玄武」

自然と背筋がぴんと伸びた。
泰明さんのきれいな眉が、訝しげに歪む。
雰囲気が変わったのに気づいたか。

「リズヴァーンって言います。私たちはみんなリズ先生って呼んでました」
「先生?」

八葉らしからぬ呼び方に、あかねちゃんが首をかしげる。
気づいてない、周りの人たち…特に現代人じゃない人たちが、複雑な表情をしてるのに。

「…リズヴァーン」
「はい」

泰明さんが名前を反芻して、厳しい目で見つめてくる。
正面から受け止めた。
藤姫が不安そうにあたしたちを見つめている。

「その言の葉の響きは鬼の名のそれだ。おかしい。その者は八葉なのだろう」
「おかしくないですよ。鬼で、八葉なんですから」

あたしが言い切った瞬間、今度こそみんなの表情が変わった。

「八葉に…鬼が!?」

みんなが信じられないって顔してる。
嵐山で星の一族の人たちが見せた反応と同じ。
…どうしてそんなに驚くの?
あたしが鬼だと思った頼久さんは、あたしに剣を向けた。
────この時代の『鬼』って…どんな存在なの?


「ありえぬ。その者まこと八葉か」

『ありえぬ』?
泰明さんの物言いにあたしは思わずむっと眉を寄せる。
なんでそういうふうに言い切れるわけ?

「本当に八葉ですよ。あなたと同じ場所に宝玉があった」

突っかかるように固い声で言い返すと、泰明さんもろとも周りのみんなも沈黙した。
探るような思案するようなその沈黙にとどまってることができなくて、あたしは言葉を続ける。

「…リズ先生は、いい人です。この世界に来たばっかりで何もわからない私に、剣の扱いや
 それ以外の大切なこともたくさん教えてくれた。戦場ではいつも守ってくれたし、迷った時には
 背中を押してくれた」
それでも、先生に流れる血は『鬼』のもの。
だからってそれだけで疎まれるのは理不尽じゃないの?

「先生は九郎さんの剣の師でもあります。だけど東軍の中にも、九郎さんが鬼に師事したことに
 眉をひそめる人がいた。…私にはわからない」

先生は讒言も黙って受け入れてた……先生自身が、鬼が疎まれるのは仕方ないって思ってた。
あたしにはわからないよ。
どうして黙ってられるの?
……どうして、その人自身を見ずに憎むの?



その時。

「ね」

あたしの隣にいたあかねちゃんがひょいとあたしの顔を覗きこんできた。

「!」

驚いて見つめると、その表情は他の人みたいに──あたしみたいに、硬くない。
純粋な好奇心をたたえた目と、柔らかい口元。
張りつめていたあたしの中の何かが、弛むって言うよりは溶けたような、そんな気がした。

「望美さんのいた時代ではね、鬼の人ってどうしてたの?」

どうしてた…って。
一瞬答えに戸惑う。
あたしは先生しか鬼の人は知らないから……。

「……、…ぁ」

そう言おうとした時、不意に思い出した。
小さい頃の先生が住んでいた、鬼の隠れ里。

「…よくはわからない」

俯いて、答える。

「でも、山奥に隠れ住んでる人たちがいた。先生も私たちに同行するまでは、鞍馬に庵を
 たてて住んでた。…あんまり人との接触は、取らないようにしてたみたい。さっきも
 言ったけど、この時代ほどじゃないにしろやっぱり金髪碧眼は敬遠されてたから…特に
 京の貴族には」

それは明らかに、この時代で起きた鬼と人との確執の名残。
……だけど、『名残』に過ぎない。

「でも誰も、人と争ったりはしてなかったよ」


きっと顔を上げて言うあたしを、みんな、黙って見返した。







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