第二章「八つの葉」5







────その時、だった。


廊下をばたばたっと走ってくる足音が聞こえた。
ぱっとあかねちゃんが顔を上げる。

「あ、イノリくんが来たみたい」

イノリくん?
って…あ、天の朱雀、だっけ。
一人だけいなかった…。
ふっと、深刻だった空気が流されてみんなが顔を上げた。
部屋の入り口へ。

「悪い!遅くなった!」

息を切らせて、現れた姿。

「……ぇ…」

あたしは驚いた。
『イノリ』くんって、…思ってたよりずっと年下みたい。あたしよりも、だよね?
それと…
ヒノエくんと同じ、真っ赤な髪に、目を奪われた。

でも。

息を呑んだのは、向こうも同じみたいだった。
あたしとは違う────意味で。

「あ、イノリくん、紹介するね…」

あかねちゃんがそう言いかけた時、彼の瞳の色が変わった。
紅玉のような眼が、炎のように燃え上がる。
あたしは知ってる…それは、怒りと、憎悪の色。
戦場で見た…
あかいいろ。


ふっと背筋が冷えたような気がした。



「何で鬼がこんなとこにいるんだよ!!」



空気をたたき割るような声で彼は怒鳴る。
そしてそのまま、あかねちゃんを背に庇うようにしてあたしとの間に割り入った。

「ちょ…イノリくんっ!」
「お前らも何やってんだよ!なんで部屋に鬼なんか入れてんだ!?」
「落ち着きなさいイノリ、その方は鬼ではありません」
「冗談言うな鷹通!どう見たって鬼じゃねえか!!」

ぎっとあたしをにらみつけるのは、炎のような────憎しみ。
手に汗が滲む。
頼久さんに刀を突きつけられた時とは一種違う…もっと純粋で、激しい感情をぶつけられて。

「その金の髪…青い目!」

ぐ、と、彼はあかねちゃんの腕を掴む。
背中に、閉じこめるように守りながら。

「イノリくんっ!話聞いて…っ!」
「鬼じゃねぇって!?今度は八葉まで騙すつもりかよ!」
「イノリちょっと落ちつけって…」
「落ち着いてられるか!鬼を倒すんだろ!?」


天真くんが何とかたしなめようとしてくれて。
鷹通さんがそれとなく庇うようにあたしの隣に来てくれて。
永泉さんが慌ててて、
あかねちゃんが何か言ってて、
詩紋くんも何か言ってて、

あたしはそれを傍観者のように聞いていた。



『 お に 』



これが、鬼の人に向けられる本物の憎悪。
あたしが受けてきた好奇の目や、忌避の目なんてほんとにささやかだったって気づかされた。
それは、憎悪の薄れたあの時代だったから?
…違う。
先生には、あからさまな敵意を向ける人もいた。
あたしが容認されていたのは、あたしが『白龍の神子』だったからだ。
ここではあたしはただの────異物。

金髪碧眼、という、キーワードだけで排除される異物。
逃げて隠れて暮らしていた、あたしの時代の鬼の人と…同じ。
見た目だけで、『忌まわしき者』になるんだ。

だんだんと心が冷えていく。

『鬼』
その憎悪の言葉は。


なんて凶暴。



「お前まで騙されてんな天真!」

叫んでる彼の方にみんなの視線は行っていた。
誰にも見られないで、そっと、あたしは動く。
隣にいた、

鷹通さんの懐刀を抜き取る。


「…っ!望美殿!?」

慌てて振り返る鷹通さん。でももう遅い。
誰かが息を呑む。
赤いその目があたしの持つ刀に向けられて、見開いて、
あたしは挑むようにその瞳をにらみ返す。
そして────


「……」

鞘のまま、彼の前に差し出した。
手に、握って。


「……な…」

しん、と部屋に静寂が落ちた。


気味の悪い緊張感。あたしの行動のせい。
赤い彼が怒りだけだった目に少しのとまどいを滲ませてあたしを見返してきた。
あれだけ騒いでたのに、絶句して。
……抜いて、斬りかかるとでも思ったの?

あなたの知っている『鬼』ならそうした?

あたしは懐刀を握って下に向けていた手を、ぱっと開いた。
ごとんっ
思い音を立てて刀が床に落ちる。


「抜きなよ」


あたしは低い声で、そう告げた。
彼と正反対の、冷たい目でにらみつけながら。
彼の目は驚きに見張られる。
苦い思いで、あたしは繰り返した。

「抜きなよ。で、殺すといい。あたし逃げないよ」

怒りととまどいの割合が変わっていく。
目線があたしの顔と、刀と、何度か往復する。
でも彼は動かない…凍り付いたように。
あたしは座ったまま…彼は立ち上がっていて、あたしは丸腰で、彼の足下にはあたしの落とした刀が転がってて、
状況はこれ以上なく単純。
なのに彼は動かない。

「どうしたの。鬼を『倒す』んでしょ」

あれだけ怒鳴ってたくせに。
自分の放ってた、言葉の意味も知らないの?

ちり…っ、と、皮膚が粟立つような苛立ちを感じた。
罪のない罪を背負わされている鬼の人たち、あたし自身が受けた偏見、それと、先生が耐えてきた全てが、感情になって───

暴走する。

「わからない?あなたが言ってた『倒す』ってそういう意味だよ。そんな覚悟も出来てなかったの?憎い鬼なら殺せばいいじゃない」

まだ…彼は動かない。
あたしの目を凝視している。

「鷹通さんが言ってくれたけど、あたしは鬼じゃないよ。いろいろ事情がある。でもあなたは話を聞こうとしない…金髪碧眼なら鬼なんだ。倒すべき敵なんだ。そうやってどれだけ罪のない人を歪めて見てきたの?」
「鬼は罪人だろ!!」

初めて彼が言い返した。
また瞳に怒りが点る。

「鬼は京の町を穢して、怨霊の巣にしてんじゃねえか!どれだけみんなが苦しんでると…っ!」
「罪のある鬼の人もいるんだろうね。でも何でそれが一部だとは思わないの?」
「……っ!」

罪を犯すのは人間も鬼も同じ。
同じように穏やかな平穏だけを望む人もいる。
どうしてそれがわからない?

「……」

あたしは一瞬次の言葉をためらって、息を吸い込んだ。
ここまで言うべきじゃないかも知れない。
でも。
抑えが効かない。

「言葉がただの音のかたまりだと思ってるの…?…刀と同じなんだよ。人を傷つけるし争いだって起こす」

あたしは改めて鋭く、赤い瞳をにらみ返す。



「殺す覚悟が無いなら、ほんの一寸でも傷つけるな。」



殺す。
そこまでするには人は冷静になるから、我に返るから。今の彼みたいに、動けなくなるから。
それでも刀を振り下ろそうとするような意志と根拠が無い限り…生半可に誰も誰かを傷つけちゃいけない。

────それじゃあ争いが続くだけ、だから。




しばらく、誰も何も言わなかった。
呆然としたように、怯えたように、見極めるように…様々な視線があたしに向けられてるのだけ、感じる。
……はぁ。
この状況は、さすがにまずいか。
すっ
あたしはおもむろに立ち上がった。
固まっていた目の前の腕がぴくりと揺れる。
あたしは無視して踵を返した。

「え……あ、…」

入り口近くにいた藤姫が、やっと我に返ったような顔であたしを見る。
それも無視して敷居を跨いだ。
部屋の外に出る。
庭にいた頼久さんが何か言いかけてやめたような、そんな顔をした。
そんな頼久さんに一瞬だけ微笑んで────あたしは廊下を歩いていく。

「の…望美ちゃんっ!?」

後ろであかねちゃんが呼んだ声がした。
でもあたしは引き返せない。行く当てなんかもちろん無いけど。



今、あたしがここにいちゃいけないと────思う。





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