第二章「八つの葉」6





夕方にはまだ早いのに、あたりはじっとりと重い空気が立ちこめていた。

似てる、と思った。
あたしが朔たちと一緒に初めて入った京の町は、最初こんな空気でよどんでいた。
人の放つ『気』が、そうさせるんだって誰か言ってた。
恐怖、疲れ、長い戦乱に街とともに荒廃した人心────
それがこの京の空気を、沈殿した澱にしてる。
その感じに、これは似てる。
龍神の守護が失われたこと、それだけがここまで街を荒びれたものにするか…?

「おに…か。」

一人で呟くと、何か…めちゃくちゃ虚しい。
あたしはため息をついた。


あてもない。
勢いであの邸を飛び出してきたはいいけど、そのあとどうするかが一番重大な問題だった。
まずこっちじゃ、金髪をどうにかしなきゃいけないんだよね…と、しかたなく一番上に羽織っていた小袖を脱いで頭からかぶった。
こっちとあたしがいた京じゃ、季節も同じくらいみたいだ。
初夏だから…そんなに寒くない。
道は、夕暮れの空とよどんだ空気が不穏なものを感じさせるのか、人通りが少ない。
皮肉だな。
鬼が生み出したらしいこの状況が、『鬼』の姿をしたあたしが道を歩くのに好都合だなんて────。

「あーだめだめ。卑屈になるな」

額を押さえて自分に言い聞かせる。
あたしは小袖を押さえて少し顔を上げた。
目の前にあるのは乾いて埃っぽい道、家、そしてその後ろに……。
洛北の山。

「……鞍馬……」

無意識でも足が北に向かっていたのは、やっぱり偶然じゃないかも知れない。











「お前な、ほんと鬼の事になると目の前見えなくなるのな!」
「仕方ねぇじゃん!金の髪で青い目のやつを誰が鬼じゃねぇって思うよ!」
「あ、あの…お二人がここで言い争われても…」

口争いを続ける天真とイノリを、永泉が必死になだめようとする。
その隣で、気遣わしげに外を見やった詩紋が口を開いた。

「そうだよ…望美さん、早く追いかけないと危ないんじゃないかな。京の人たちに見つかったら鬼だって誤解されるだろうし…それに怨霊だって」
「そうですね。すぐに追いかけましょう」

詩紋に同調して鷹通も腰を上げようとするのを、イノリがぎっとにらみつけた。

「お前らはそうやって信じこんじまってるけど、俺はあいつが鬼じゃねぇってまだ認めてねぇぞ!鬼はな、人を騙すんだ!」
「し、しかしイノリ殿…!あの方の神力は、まこと龍神の神力でした。神子と八葉以外には見えぬ宝玉もお見えのようでしたし…あの方は間違いなく龍神の神子様なのです!」

そう縋った藤姫の言葉に。
イノリはあっけに取られたような顔をして、今までの勢いも忘れたように藤姫を凝視した。

「……は?」
「は?はい?」

いきなり見つめられて、藤姫も目を丸くして首をかしげる。
何かおかしなことを言ったかしら、と。
イノリにしてみれば、寝耳に氷水といったくらい、おかしなことを今聞いたのだが。

「な…んだって?神子?」

詩紋があっと、小さな声を上げた。
そうだ。そう言えば…

「ちょっと待てよ!神子って何だ!?神子はあかねだろうが!」

…イノリは、望美の身の上を何一つ聞かされていないのだった。
はあぁ…と、深いため息をついて、天真はうなだれる。

「おーいあかね…」
「ど、どうしようか」

あかねも相当困った顔をしているが、この混沌とした状況を解決するには、こうするしかない。

「俺とさ、詩紋であいつ探しに行ってくるから。…残りでイノリに説明頼むわ。」

…つまり、そういうことになった。












洛北の、暗い深い…山の中。
ほとんどまともな道も出来てない中を、迷い無くあたしは歩いた。
道もない、景色も違う、樹も、草も。
それでも────
あたしの感覚は覚えてる。
もう何度も何度も足を運んだ、同じ山だから。
山頂近くの、大きな椎の樹の下に着いて、あたしはやっと立ち止まった。

「──……」

被っていた着物を頭から引き落として、あたしは誘われるように上を見上げる。
頭上を真っ黒に覆う、一面の椎の葉────。
あたしは無言で目を細めた。
この樹、あたしの記憶にある姿より少し若い気がするけど、枝振りも雰囲気も、あの頃のまま。
200年間、ここに居続けるんだね…。

「懐かし…」

無意識に呟くと、胸がぎゅっと締め付けられる感じがした。
リズ先生が住んでた庵の、後ろに添え立っていた大きな椎の樹────。
その姿は変わらずそこにあった。
でも当然だけど、庵なんてそこにはない。
樹と、草と、葉を揺らす風の音だけ。
誰もいない。あたし一人。


「よしっ」

いつまでも悲観してるわけにもいかないしね。
あたしは一度気合いを入れると、手近な枝に着物を掛けて、あたしはすとんと腰を下ろす。
さぁここからだ。
まずはこの先どうするか、だけど…。
ちゃり、と、胸元から逆鱗を取り出す。

「まだ反応なしか…」

逆鱗は…まだ輝きを失ったまま、本来の力も取り戻していないみたい。
あたしの五行の力も、逆鱗が持ってた白龍の力も、丸ごと持って行かれちゃったからね…この時代の、白龍に。
あかねちゃんに分けてもらって、あたしの体調だけは普段通りを保ててるけど…、あの子にこれ以上頼るわけにもいかないし、…第一。

「もうあそこには戻れないもんなぁ…」

あんな騒ぎ起こしちゃったもんね…。

「……」

膝を抱える。


『鬼を倒すんだろ!?』

あの言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった気がした。
あんまり簡単に口にされた言葉に、自分でも抑えられないような怒りがこみ上げた。
倒すってわかってる?
殺すってことなんだよ?
この世界で鬼の人がどんな悪事をはたらいてたのかは詳しく知らない。
でも京を呪詛した事実はあるみたいだって、先生の話からはわかる。
だからって、倒すっていうのはそんな簡単に口にしていいことかな。

『源氏と平家…二者が天下に並び立つことはできん』

眉を寄せて、九郎さんが言っていたのを思い出す。
誰も、憎んでたんじゃなかった。
ほとんどの人が、抗えない波に押し流されて血を流した時代だった。
源氏でも平家でもない、むしろ本来あの時代とは関わりを持つはずもなかったあたしでさえ、剣を取らざるをえなかったあの戦。
きっと平家が怨霊を作っていなかったって、あたしが白龍の神子じゃなくたって、あの戦に巻き込まれればあたしは剣を取っただろう。
不可抗力。でも────

『私が血路を開く。お前たちは…いきなさい』
『梶原景時と武蔵坊弁慶の最期、お聞かせしましょうか』
『神子…あなたは、生きて』

みんなを失ったあの瞬間、あたしの胸にあったのは確かに、大切な人たちを奪った誰かへの憎しみだった。
そう…剣を取ることは、新しい憎しみを生む。
言葉だって一緒。
凶暴な言葉は刃になって、誰かを傷つけて、新しい憎しみを生むんだ。
右の頬を打たれたら左の頬を差し出せなんて、綺麗事を言いたいんじゃない。
でも、なんて言うかな…。
そうやって、憎しみが波紋みたいに広がっていくのは、ものすごく怖いことのような気がする。
希望が。
なくなっていくみたいな気が、して。
………怖い。
くしゃ、と前髪をかき上げる。

「……でもさすがにあれは…」

…やりすぎたかな。
刀突きつけて「殺せ」は、ちょっと過激すぎたかもね…。
や、あのときはほんとに頭に血が上ってて…。
あたしは深くため息をついて、うなだれた。

はあ。
ほんとにどうしよう。

────ここは今までいた時代とは違う。
あたしは大手を振って道を歩けないし、住むところも無いし、ここを動けない。
この状況を打開するには…。

「とりあえず…帰らなきゃいけないでしょ?そしたらやっぱり五行の力を取り戻して…」

逆鱗に力を取り戻して、元の時代に帰る。
でもそのためには、やっぱり怨霊を封印しなきゃいけないわけで。
怨霊を封印するには…。

「あ、剣がない。」

はたと気がついた。
そう言えばあたし、丸腰!?

「あっちゃぁ…これじゃ怨霊とも戦えないじゃない…」

さすがにあたしだって、爪も牙も時には妖術だって使ってくる怨霊相手に素手は無理。
そこんとこ、どうするか…。

「考えろ考えろ、武器調達武器調達。」

こめかみをぐぐぐと押さえて、頭をフル回転させる。
…けど、そんなに簡単に妙案が浮かんだら誰も苦労しないわけで。
武器調達、なんて、慎重にやらないとあたし見た目は鬼なんだから、…鬼の評をまた下げかねないんだ。
ということで、一番初めに脳裏をよぎった『五条大橋で千本刀』というキーワードをあたしは早々に却下した。






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