第二章「八つの葉」7 かさかさっ 「?」 武器調達について、いつのまにか真剣に考え込んでいた時。 乾いた枯れ葉の音にあたしは顔を上げた。 その視線の先を、イタチだか何だかの尻尾が揺れながら走り去っていく。 「なんだ、イタチか。」 うつむいて腕を組んで、また答えの出ない思考に没頭しようとする… そのとき。 「────っ!」 そのとき、不意に意識の端に引っかかったものがあった。 反射的に腰を浮かす。今のは…… 何かの気配…? 「……」 目を閉じて神経を研ぎ澄ます。 音が聞こえたわけじゃない。無音、だからこそ一層違和感を持って感じられる『何か』の気配。 「…獣…」 …違う。 「……怨霊」 違う。 「────。」 目を開く。 この気配は…… ────生きた人間だ。 それも、意図して気配を隠してる人間。 何を目的に? 「!?」 そう考えた時、ぞくっと背筋に悪寒が走った。 何…この気配。 まっすぐこっちに向かってくる! 「まず…っ!」 こんな森の中で気配を隠して近づいてくるなんて、怪しいことこの上ない! あたしはとっさに近くの岩陰に身を隠した。 息をひそめて、神経はとがらせたままで、刻一刻と近づいてくる気配を読む。 来る……。 もしかして、さっき抜け出してきた邸の誰かが追ってきた? でも気配は山の上手の方から下ってくる。 京の町とは逆方向。 来る…。 しかも、あたしを探しに来たんならわざわざ気配を消す理由はない。 じゃあこれは誰? 来る。 もうそこまで近づいた気配に、あたしは息を止めて背を後ろの岩に押しつけた。 ────かさっ 来た……。 自分の鼓動の音さえうるさい、張りつめた静寂。 問題の気配は、あたしの隠れている岩から少し離れたところで…立ち止まった。 ぎゅっと身を縮こめる。 「……ん?」 どくんと心臓が跳ねる。 声。 え、これは……子ども? 「何だ?こんなところに、着物…?」 「────!」 あ……っ!! 馬鹿だあたし!小袖、樹に引っかけたまんま…っ!! まずい、まずい。 思いっきり痕跡残しちゃってるじゃない…! この人、着物に怪しんでこの岩陰も覗くかも。 今の内に逃げる? でもその後は? 着物を持ってかれたら髪も隠せないし…。 どうする? どうする! 迷ったままの頭で、あたしはほとんど無意識に次の行動に出ていた。 つまり……岩陰からそっと顔を出し、気配の主の様子を探るということ。 でも。 「!」 そうして見た光景が、こんなに意外なものだなんて──── 想像したわけもなかった。 「……女物…だよな。なんで…」 ぶつぶつ呟きながらあたしの着物に手を伸ばす、その姿は男の子。 でも、その髪の色は…… 金。 これって…まさか。 お に ? 『誰か!早く!鬼が…っ!』 『鬼め!覚悟!』 『鬼の手により四神は封じられ…』 『鬼を倒すんだろ!?』 怯えた顔、 怒りの顔、 悲しむ顔、 フラッシュのようにぱぱぱっと脳裏をよぎって消えていった。 「鬼」に対する負の表情が────。 「……それ。」 「!」 鬼の男の子がびくっと後ずさった。 手にかけていた着物が離れて、樹にかかったままふわふわと揺れる。 それがあたしからはっきり見えたのは、あたし自身が…。 「…あたしの、なんだけど。」 岩陰から出て、彼に姿をさらしていたから。 一瞬、逃げようと動きかけた彼の足が、あたしの顔を見て驚いたように止まった。 いや、顔って言うよりも……髪と、瞳の色に、か。 「鬼…?」 驚いて、まじまじとあたしの髪を見つめるその子の瞳も、やっぱり青い。 顎のあたりで切りそろえられた髪は、太陽の光を集めたような金髪で… 白くて細い手足や綺麗な顔立ちは女の子みたいに見えたけど、意志の強そうな目鼻立ちと眉の感じで、男の子なんだってわかった。 あたしより少し年下の、男の子。 先生以外に初めて会った…鬼の子ども。 「お前、初めて見る顔だな…しかも、女…?」 一歩近づいて顔を覗きこんで来るから、あたしの方がちょっと面食らった。 な、何か遠慮無いな。 そんなにじろじろ見なくても、金髪碧眼なんて見慣れてるでしょ? 「君は、鬼?」 間抜けな気もしたけど、とりあえずそう訊いてみた。 案の定怪訝な顔をされる。 「は?見たらわかるだろ。この髪をさ」 いや、まあわかるけどさあ…こっちで初めて会ったんだもん、ちゃんとした鬼の人に。 詩紋くんは現代人だったし。 彼は相変わらずあたしをじろじろ観察しながら、腕を組んでいる。 その様子に出会った瞬間見せた強い警戒心はもう無い。 あたしが金髪だから、仲間だと思ったのかな…。 …むしろ中途半端にわだかまってるのはあたしの方だ。 リズ先生を知っているあたしには、鬼の人がみんな悪い人だなんて思えない。 でもその先生自身が、この時代の鬼の人が悪事をはたらいてたことを認めた。 この子は『どっち』なの…? 「お前、名前は?こんなところで何してるわけ?」 「お、おまえ?」 唐突に突きつけられた言葉に唖然とした。 お前…って、なんでそんなに態度大きいのよ。 「…人の名前訊く時はまず自分から、でしょ」 あんまり傍若無人な態度だから、怒る気もおきない。 ほとんど呆れたように、あたしは言った。 すると彼はむっとした感じで一瞬片眉を上げて、でもまあいいかっていうふうに首を傾げて答える。 「僕はセフル」 「セフル…?」 セフル。日本人の、ひらがなには合わない口当たりの名前。 鬼の人の、名前の響きだ…。 ちくりとした懐かしさに、あたしは少しだけ目を細めた。 「名乗っただろ。お前は?」 「え?」 「だから、名前。」 あ…ああ。 懐かしさにとらわれてた頭を急いで切り換える。 「ごめん、あたしは望美。ここでは…えっと何て言えばいいのかな、考え事してたって言うか途方に暮れてただけって言うか…」 ほんとに、何してたって訊かれても困るんだよね。 途方に暮れてただけって言う方が、正しいか。情けないけど。 「ノゾミ?…ふぅん、変わった名前。」 う、そんな怪しむような目で見ないでくれる? あたし別に怪しい奴じゃないんですけど。 間が持たなくなって、今度はあたしから話題を振った。 「セフル…は、何してるの?こんなところで。上手から降りてきたよね?」 「お前に言う必要なんて無いだろ」 が、一言に伏される。 っはあ!?何この子!生意気! こっちは自分でもよくわかってない現状を説明してあげたのに! 今度こそ睨みつけて何か言い返そうとした… それより早く。 ばさっ! 「わ…っ」 急に視界がふさがれた。 樹にかけたままだった小袖を投げつけられたんだって、気づいたのは一瞬後。 「な、何すんの…っ」 「こんなところで何するつもりだったか知らないけどさ、山奥っていっても京の人間が来ないとは限らないだろ。面倒なことになる前にさっさと帰りなよ」 あたしは思わず、文句を言いかけた口を閉じた。 「帰れ」────その言葉になぜか一瞬胸が痛んだ、だけじゃなく。 微かだけど…セフルの言葉の感じが、気遣うような優しさを滲ませた気がしたから。 なに…生意気だけど、この子。 良い子…なのかな…? 『罪のある鬼の人もいるんだろうね。でも何でそれが一部だとは思わないの?』 勢いで自分が放った言葉に、ほのかな確信が持てる。 この時代にだって、いい鬼の人もいるんだって──── 「君は…っ?」 あたしに背を向けて、さっさと行こうとした背中に思わず声をかけていた。 この時代の鬼の人のこと、もっとちゃんと知りたい。 訝しげに振り向いた彼に続けて尋ねる。 「セフルは、どうするの?セフルだって面倒なことになるかも知れないでしょ?今から帰るの?」 初めて会えたこの時代の鬼の人が、何してるのか、どこに住んでるのか、…。 本当に、京の人を苦しめてるのか、……知りたいんだよ。 矢継ぎばやに尋ねると、青い瞳が面倒くさげにしかめられた。 「お前に言う必要なんて無いって言っただろ。早く帰れって…」 帰れ。と。 繰り返された言葉に、反射的に叫び返していた。 「あたしに帰る場所なんかない!」 自分が思っていたより、気が弱ってたんだろうか? たいがいの苦しいこと、全部乗り越えてきた気でいたのに、自分で口にして寒気がするほど怖くなった。 今のあたしには…帰る場所がない。 元の時代には、朔がいたし、八葉のみんながいたし、あたしの…… あたしの居場所になってくれる、あの人がいた。 でも、今のあたしは、『異物』。 白龍の力も持っていない上に、京に敵対する鬼と同じ容姿をもつ、────それでも『白龍の神子』。 どっちにも…帰れない。 「どこに帰れって…いうの…」 ぎゅ…と、小袖を握りしめながら呟く。 違う、違う、言いたいのはこんな台詞じゃない。 訊かなきゃいけないのは、この時代の鬼の人のこと…この時代にこの容姿でいる限り、あたしが知っていなくちゃいけないことを…! 「お前…里の奴じゃないのか…?」 セフルは、心底驚いたように目を丸くしていた。 里…? あたしが聞き返すより早くその目が一瞬はっと強ばって、あたしの顔と、握りしめている小袖を視線が往復する。 「その…っ衣…!」 「!」 「何に使ってた!?」 ぐいっと、急に小袖を引っ張られて、あたしは自分が取り乱してたことも忘れてあっけにとられた。 な…なに?この小袖を…何に使ってた、…って? 「か、髪…」 あたしはセフルの剣幕に驚きながらも、しどろもどろ答える。 「隠すため、だけど…」 それが何? 金髪なんだから普通じゃないの? あたしはそう思ったけど、セフルの表情は一層硬くなった。 硬くって言うか…… 追いつめられていくみたいな、感じで。 何? 「お前…」 セフルの手が、あたしの小袖から離れた。 はらり、と、裾が空気をはらんで重力に従う。 その向こうに、呆然とした男の子の顔。 「隠形が…使えないのか…?」 おん…ぎょう? 聞き慣れない言葉に、あたしは応えられずに目を丸くした。 違う、どこかで聞いたことがある、その単語…。 おんぎょう、オンギョウ、隠形… 確か──── 「……『合いの子』、なのか」 答えに手が届きそうになった瞬間、一段と低くなった声がつかみかけた答えをかき消した。 はっとしてセフルの顔を見つめる。 彼の表情には…思わずたじろいてしまうような怒りが、滲んでいた。 さっきの、イノリみたいに、まっすぐあたしに突きつけられる怒りじゃない。 もっと複雑で、体の奥底で渦巻いてるみたいな…捉えがたい怒り。 でもあたしにはその怒りの意味がわからない。 『合いの子』ってあたしが?それ、どういう意味? あたしの動揺を、セフルは。 違う風に解釈したみたいだった。 「運の悪い奴!」 突然声を荒げるから、あたしは思わずびくりと後ずさる。 何もかも…意味がわからなかった。 「最低だね…鬼の力も何も受け継がずに、髪と目だけ金と青で生まれてきたんだ?隠形も使えないなんて京の人間の格好の餌食じゃないか、よく今まで生きて来れたな!」 セフルは笑ってる。 でも本当に笑ってるんじゃない、口元に皮肉な笑みを貼り付けて、わざとあたしを揶揄するような言葉で罵って… あたしが少しも言い返す気が起きなかったのは、彼の言葉が全部彼自身に向かってるような気がしたから。 だって、あたしはこんなに悲痛な罵倒を知らない。 これは、あたしに言ってるんじゃない──── 呆然と彼を見つめるあたしと目があって、セフルは苛立たしげに舌打ちをした。 そのままくるりと踵を返す。 「セフル…っ」 「気安く呼ぶな!」 思わずかけた声が、激しい激昂に叩き返される。 セフルは殺意にも近い感情を顕わにして、あたしを振り返った。 「…僕はお前とは違う。合いの子なんかのお前が、気安く呼ぶな!」 そうして。 彼はふわりと身を翻した。 刹那、その体がふっとかき消える。 「!」 あたしは驚いて一歩踏み出したけど、セフルの姿が見えることはなかった。 ただ足下に積もった枯れ葉が音を立てただけで……。 「なに…あの子…」 ぺたん、と。 最初腰掛けていた石の上に…座り込んだ。 隠形────思い出した。今のセフルと同じ。 唐突に姿を消してみせる先生の技を思い出す。 それは…鬼にしか使えない術。 おにのひとの────証。 |