第二章「八つの葉」8






──── おい…おいっ!全く…どこででも寝るんだな、こいつは…。

──── ちょ…駄目だって九郎!疲れてるんだから寝かせておいてあげようよ!

──── そうだな。休養はとれる時に取っておいた方がよかろう。

──── 神子に…無理をさせていたのだろうか…。

──── それは大丈夫ですよ、きっと。ほら、こんなに幸せそうに眠ってますから。

──── ほんと、間抜けな面さらして…全然起きる気配ねぇもんなぁこいつ。

──── 兄さんの方が寝てる時は間抜けな顔してるよ。もっと。

──── それにしても嬉しそうな顔して、いったい誰の夢を見てるのかな?花の神子姫は。






みんなの……
…声がきこえる……
どこ……?


今…起きるから
起きるから……
みんな…待って……








「おい!」
「!」

突然の大きな声に、体がびくっと強ばって意識が覚醒した。
水をかけられたみたいに、一瞬冷や汗が背中を流れる。

「あーびっくりしたー…こんなとこで倒れてるから、何かあったのかと思ったぜ」

え?え?誰?
かすむ目を手の甲でこすって、目をこらした。
九郎…さん?

「よかった、見つかって!怪我とかしてない!?」

また聞こえた別の声に頭を動かすと、薄闇の中に金色の光が見えた。
最後にあたしを睨みつけたあの青い瞳が脳裏をよぎって、やっと意識が覚醒する。

「あ…っ」

薄暗い森の中────あたしの目の前には二人の男の子。
見覚えのある…どころか、忘れるには時間が足りなすぎるその顔。
えーっと、…

「森村…くん、と、流山…くん?」

だっけ?
あの邸にいた八葉の…確か現代から来た二人。
確かめるように名前を呼ぶと、二人は一瞬驚いたように目を合わせた。
あれ、…名前間違えたかな。

「…久しぶりに聞いたな、自分の名字…。天真でいいぜ。こっちじゃだれも名字なんかで呼ばねぇし」
「うん、僕も呼び捨てでいいよ、名前」

ああ、そういうことか。
え?じゃあ天真に詩紋でいいの?
…と聞き返そうとしたとき。
不意に感じた違和感にあたしは口をつぐむ。
そうした間に森村く……天真、は両手を腰に当てて、大げさなため息をついた。

「それにしてもあんたほんとにただ者じゃないな…一人でこんな山奥まで来たのかよ」
「そうだよ、怨霊だってどこに出るかわからないのに…危ないよ」

二人の言葉と、詩紋の心底心配してたっていうまなざしに、違和感が増す。
そもそも…なんでこの二人が……。

「!」

そのとき。
すっと目の前に手が差し出された。
目を見開いて見上げると、天真は至極当然といった表情で、こう言う。

「ほら、帰るぞ」

帰るぞ、と。
一言。
どこへ────なんて、もちろん言わない。


ぼんやりとした違和感が形を持った。



「………」

あたしは内心の訝しみを隠しもせず眉をしかめる。
何でこの二人が、ここにいるのか、だ。
何で、あたしを追ってきた?
……何で、どこへ、…連れて帰ろうっていうの?

「?どうしたの、望美ちゃん…」

詩紋の声が戸惑ったように揺れた。
でも……戸惑ってるのはむしろこっちだ。

「…帰るって、どこに?」

堅い声で訊くと、面食らったように二人はあたしを見返した。
意地の悪い訊き方だったかな、と、少し苦笑する。
軽く首を振りながら告げた。

「…帰れないよ、あの邸には」

────あたしは…帰れない。
この苦笑の意味が、わかってくれるかな……。
さっき出した、あたしの結論。

「帰れないって……」

天真は何言ってんだとでも言いたげな表情を一瞬見せた後、ああとやけに納得したように腕を組んだ。

「イノリのことか?それなら大丈夫だぜ、あんたの事情もちゃんと説明したし、今日はもう帰ったから」
「ごめんね…イノリくん、悪い人じゃないんだ。ただちょっと、鬼のことになると…」

自分が悪いことをしたみたいに謝る詩紋を見上げて、あたしは小さく頷く。

「うん、そのことはもういいよ。あたしも冷静じゃなかったし…あっちの言い分もわかる。気にしてないよ」
「?じゃあなんで…」

不思議そうな顔をする天真に笑う。
これは、それだけの問題じゃないんだよ。
岩の上に腰掛けたまま、膝にかけていた小袖を引きかぶる。
そして二人を見上げてもう一度笑った。

「あのお邸には帰れない。」

だって。

「迷惑だから。」




二人は、虚をつかれたかのように黙り込んだ。
天気の悪い初夏の、乾いているけど生ぬるい風が、くるくると落ち葉を舞い上げる。
ゆっくりと天真の眉が寄ったのがわかった。

「……迷惑って…」

あたしはじっと、薄明かりに逆光になっている天真の顔を見つめる。
ばつの悪い表情で目をそらしたのは彼の方だった。

「…、何でだよ」

何で、と聞きながらその顔は、あたしの言いたい「何故」にほとんど気づいてる。
あたしはこの髪を見せつけるように、さっき頭から被ったばかりの衣を肩まで落とした────この金の髪を。
そして逆光の彼らに向けたあたしの顔に光は当たっていて、二人からはこの青の瞳もあからさまなほどに見えているはずだった。
強ばったように、詩紋の視線が揺れる。

「あのお邸…かなり、偉い人の邸宅でしょ?」

あんな小さな女の子が、「藤姫様」って、お姫様って呼ばれてた。
あたしが逃げようとしたときも、たくさん警護の侍が出てきたし、女房さんもけっこう見かけた。
貴族のことなんてあんまりわからないけど、かなり良い身分だと思う。

「そりゃ、まぁ…左大臣邸、だけど」

────左大臣!
かなりどころじゃない、最高クラスのお邸じゃない、やっぱり。
内心舌を巻く。

「だから、だよ。鬼の格好したあたしが、そんな偉い人の邸に帰るなんて出来ない」
「あのなぁ」

たまりかねたように天真が口を挟んだ。

「詩紋目の前にしてそれ、言うか?ちょっとは考えて…」
「天真先輩!」
「いいんだよ詩紋は、八葉だから。」

険悪になりかけた空気の中で、あたしはひたすらまっすぐに二人を見詰めて言った。
ここでしたいのは、言い争いじゃないんだ。言いたいことをわかって欲しい。
あたしと天真の間を困惑したように視線を彷徨わせた詩紋は、最終的にあたしに目をとめる。
真意を量りかねたような、惑った視線を。

「詩紋は、八葉でしょ?白龍の神子がいて、八葉がいて、この世界の陰陽の歪みをただす。この世界にとって必要な人だよ。役目がある。でも」

あたしは。

「あたしは違う。」



あたしはあかねちゃんとも、八葉のみんなとも、この同じ金髪の詩紋とも違う。
どうしてって、あたしは『知らない』から。
この時代の鬼の人を、知らないから。
単純に鬼の人に敵対する立場には立てない。
だから、京の人の手に縋るわけにはいかない。ましてやあたしが頼ることが、その人にとってマイナスになるならなおさら。
────それだけじゃない。
自分の立場も決められないなら…鬼と戦ってる、この時代の白龍の神子の元にはいちゃいけない。

「あたしはきっと、鬼の人が目の前にいても、戦えないよ。たとえそれが、この京を苦しめてる張本人だったとしても」

あたしはそう言い切って二人を見つめた。
それは彼らをこの京を真っ向から否定する言葉だった。






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